中山道歩き22-3(2016/10/31) 11月29日(火) [中山道を行く]
前記事でもお知らせしましたが、新ブログの準備をしています。
そのためこのブログは「takenokoフォト散歩-1」に名前を変えました。
新ブログは「takenokoフォト散歩ー2」でスタートする予定です。
新ブログ(テスト中)はこちらです。
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中山道歩き22日目(10月31日)の記事が続きます。
木曽義仲のお墓がある徳音寺を出て、すぐ近くの「木曽義仲館」に行きました。
この日は時間に余裕があるので見学していこうと思っていました。
が! ・ 休館日でした
敷地内には入れるので中に入ると木曽義仲と巴御前の銅像がありました。
木曽義仲は源義仲とも言われ源頼朝の従兄弟にあたります。
したがって活躍したのは、平安時代末期です。
巴御前は義仲と共に戦った女武将で妻と誤されるが妻ではないようです。(Wikより)
軽井沢の追分宿でも、各記念館などが休館日だったことがあります。
建物だけ見て先に進みます。
この後、宮ノ越宿の中心に入っていきます。
宿場町の雰囲気はほとんどありません。
この家はいったい何屋さんでしょう。
突然、立派な門が現れました。
宮ノ越宿の本陣跡でした。
宮ノ越宿は、本陣・1、脇本陣・1、旅籠屋・21の宿場町でした。
明治16年2月に、宮ノ越宿は大火にあい、90軒の家が燃えています。
この大火で本陣の主屋部分が焼失しましたが、客殿部分は焼失を免れました。
木曽11宿の中でたった1宿残されたこの客殿部分の再生工事されました。
平成28年4月15日(金)より一般公開されています。(木曽町HPより)
休館日(月、火)でした。
この日は月曜日でした。
しばらく行くと、古そうな建物があります。
田中家の建物で昔は旅籠屋でした。
ここも明治16年の火事で焼けてしまい、残った建具などを利用し再建された建物です。
その後住居として使っていましたが、平成9年に旧日義村に寄贈された物です。
休憩所として使えますが、ここも閉館でした。
これも古そうな家でしたが、特に説明もありません。
おそらく人が住んでいるでしょう。
先に進むと井戸の跡がありました。
この井戸は江戸末期に掘られ、昭和初期まで近隣の名水として利用されていました。
明治天皇の行幸の時、ここの水を使ってお茶を差し上げたとか、
と言うわけで「御前水」と呼ばれてます。(説明板による)
宿場町も終わりになりました。
石柱、石塔がならんでいます。
家並みも無くなりました。
これは牧草を作っているのでしょうか。
こんな建物もあります。
白い土蔵の上に普通の屋根が付けてあります。
しかも後ろだけがはみ出しています。
人が住んでいるわけでは無さそうでした。
再び農地が広がります。
刈り残してあるか、違う植物なのか、上から見たら何かの形だと思いますが・・?
宮ノ越の一里塚跡に着きました。
この石碑の字は地元の小学生の文字だとか、
ここから旧道は消滅しているので、現代の道を行くしかありません。
5分ぐらい歩くと右からの道と合流しました。
この道が旧道と思われす。
この先の踏切を渡ります。
この時12時半頃です。
お腹がすきましたが、食べるところは無さそうです。
持っていたおにぎりを食べました。
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続いて歩きます。
松沢と言う集落に入りました。
宿場町ではありませんが、出梁作りの家があります。
出梁作りの家は、群馬の横川辺りで最初に見ました。
この集落はJR原野駅の近くです。
朝7時から、17時までの間に10本しかありません。
庚申塔とかが並んでいます。
そのまま進むと、すぐに石仏、石像が並んでいました。
この石像はちょっと服装が違います。
5分ほど進むと、
中山道の中間地点に着きました。
2014年5月19日スタートして、延べ22日かかってやっと半分です。
この日の目的地、福島宿を目指して続きます。
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本日も訪問ありがとうございました。
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中山道歩き22-2(2016/10/30) 11月27日(日) [中山道を行く]
24日に降った雪は翌日には溶けて無くなりました。
昨日は、晴天ではあるけど寒い日でした。
日々、本格的な冬に近づいているようです。
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前記事の続きです。
藪原宿を出てからほとんど国道19号線を歩いてきましたが、ちょっと国道から外れます。
足元には朴の葉(?)がたくさん落ちています。
国道から外れていると言っても道路は見えます。
この日は10月31日、木曽路は「秋深まる」と言う雰囲気です。
再び国道に出て進みます。
まだ雪は降っていませんが冬支度なのでしょう。
横断して橋(吉田橋)を渡ります。
橋を渡ってからまた国道から離れます。(200mぐらいです)
途中、こんな紅葉の光景に出会いました。
再び国道を出るとすぐトンネルになります。
本来の中山道はトンネル手前に川沿いに道があるのですが、通行止めです。
トンネルを通ります。
歩道はありますが、トンネルの中です。
トンネルの中は車がひっきりなしに通ります。
トラックも大きな音で通過していきます。
騒音と排気ガスを我慢して、200mほどのトンネルを抜けました。
先にはオアシス(コンビニ)が待っていました。(10:40)
藪原駅を出発したのが9:10頃でしたので1時間半ほど歩いています。
セブンイレブンでコーヒータイムです。
イートインスペースがあったので助かりました。
約20分の休憩です。
出る時にトンネルを振り返ると、
標高883mです。
頑張って歩きましょう。
気温も11度まで上がりました。
交差点に来ました。
交差点の角には宮ノ越宿の大きな看板があります。
ここで右に曲がり、静かな道になりました。
これは誰かの句碑ですが読めません。
ここはこんなところです。(下の黒いところは木曽川の水です)
木曽の歴史上の人物と言えば木曽義仲、巴御前です。
ここに住む竜神が化身して巴 御前になったという伝承もあります。
巴淵と呼ばれています。
紅葉と木曽川の淵が綺麗でした。
電車の音が聞こえ、普通列車が来ましたが間に合いませんでした。
ここでもしばらく待ちましたが、特急列車も普通列車も1時間に1本ですのでダメでした。
先に進みましょう。
徳音寺と言う集落を進みます。
柿が干してあったり、
落花生も干してありました。
門だけが保存してあある家がありました。
隣の石碑ははっきりとは読めませんが有栖川宮小休止跡、明治?年八月と彫ってあります。
秋らしい山里の道を進みます。
しばらくすると開けた所に出ました。
こんなところに不釣り合いな家が建っています。
何かの工房の様でした。
田舎道を進むと徳音寺と言うお寺に着きました。
1168年、木曽義仲が母小枝御前を葬った寺で、一族の菩提寺です。
境内には義仲・巴御前らの墓があります。
<義仲の墓は滋賀県大津市の義仲寺(ぎちゅうじ)にもあります>
参道を進みます。
立派な本堂でした。
手前のブロンズ像は巴御前の騎馬像です。
徳音寺を出ると木曽川挽歌の歌碑がありました。
木曽川挽歌 作詞:山内敏暉
作曲:豊光宏仲
木曽の松風日義の里に
若き血潮が吹きあげる
平家伐たんと義仲公よ
燃えし精魂今いずこ
治承四年春弥生
若名御前や帰らじの旅
神の情けの儚さは
歴史の跡を木曽川端に
一つ葉繁る観音堂
八百余年夢はるか
雨の横吹き若葉が一つ
悲恋に散りし語り草
悠久挽歌ちらちらしびれ
しのぶ昔を川が知る
美濃の哀歌よ地蔵尊
木曽路の旅は続きます。
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次回に続きます。
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taknokoフォト散歩のDISK容量がもうすぐ1Gになります。
年代わりに新ブログに移行しようと思っていましたが年内で一杯になりそうです。
takenokoフォト散歩2の準備中です。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き22-1(2016/10/31) 11月25日(木) [中山道を行く]
昨日は天気予報通り雪になりました。
午前5時過ぎには雨でしたが、6時半ごろになると雪に変わり、午後2時ごろにはみぞれになりました。
その後は気温は上がらず寒い一日になりました。
25日朝(写真追加しました)
更に真っ白くなった富士山。
丹沢の山々
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中山道の旅、11月21日の記事の続きです。
10月30日は奈良井宿から鳥居峠を越えて藪原宿まで歩きました。
塩尻まで電車で戻り、駅前のホテルに宿泊し、翌朝中山道歩き、22日目の朝を迎えました。
塩尻駅、8:17発の電車に乗るため駅に向かいます。
今まで何度もこの階段を通っていましたが、初めて気付きました。
今の駅に変る前にあったものでしょう。
天気は良さそうです。
奈良井宿で見かけた百草丸を作っている、日野製薬の工場が見えています。
電車で約30分、藪原駅に着き、準備をして出発です。
駅から旧街道に戻り本日のスタートです。
いきなり一里塚跡がありました。
66番目の一里塚です。
上の写真で後ろにあるのは、
D51でした。
1939年製で1972年中津川機関区で廃車になった機関車です。
屋根があり比較的綺麗に保存してありました。
道を進みます。
左の上は線路です。
直ぐに交差点に出ました。
旧中山道は直進ですが、この先は行き止まりで、旧道は消滅しているようです。
持っている案内図に沿って、線路のガード下を通ります。
藪原宿も終わりです。
木材を積んだトラックが通ります。
ここからしばらく国道(19号線)歩きになります。
歩道が付いているので怖くはありません。
カーブしたところで、横を通る中央本線の電車が、こちらに向かって走ってきました。
木曽川に架かる橋を渡ります。
向こうから手前に流れています。
天気は晴れ、山はかなり色づいています。
道路は日陰ですので気温は4度でした。(10月31日ですよ・・念のため)
道路の反対側の駐車帯で、ゴミの清掃している人がいました。
こんなところです。(Googlemapからコピー)
私が歩いているすぐ横にはコンクリートの擁壁に彫刻のような絵がありました。
(上の写真で白くなっているところです)
道路の反対側から撮れば全景が見えますが、とても横断できる状態ではありません。
StreetViewの画像ですが
そのまま国道歩きが続きます。
ここまで国道に沿った歩道を歩いてきました。
この先はトンネルのようです。
元々の中山道は左の方にあったようですが、今は道がないのでここを進むしかありません。
近づくと、歩道がありました。
ここは安全に歩けます。
吉田洞門と言い右下は木曽川の流れです。
この光景に特急しなのが来たら、きれいな鉄道写真になると思い少し待ちましたがダメでした。
ここで綺麗な紅葉を見ることが出来ました。
背景は木曽川の流れです。
ここでも少し待ちましたが、電車は来ませんでした。
次回に続きます。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き21-3(2016/10/30) 11月21日(月) [中山道を行く]
昨日の朝は濃い霧が出ていました。
昨日も瀬上池に紅葉の偵察に行きましたが、10時を過ぎてもまだ霧が少し残っていました。
(10時40分ごろ撮影)
昼間は暖かく、着るものも一枚少なくするぐらいでした。
今日は夕方から雨になるようです。
良い天気も長続きしません。
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前記事の続きです。
鳥居峠の栃の木の群生地を過ぎると、また鐘がありました。
栃の実を狙って熊が来るのでしょうね。
ここでも、大きな音で鳴らしました。
御嶽神社に着きました。
昔はこの峠が美濃の国と信濃の国の国境で、戦が何度も行われていました。
御嶽山の見えるこの地に木曽義元が戦勝祈願のために峠に鳥居を立てました。
それから鳥居峠と呼ばれるようになったといわれています。
この後ろに御嶽遙拝所がありますが、それほど見通しが良くないので行きませんでした。
渓斎英泉の版画です。
明治時代の写真家、日下部金兵衛の写真です。
下り道になります。
少し広いところに出ました。
信濃十名所鳥居峠と言う石柱が立ち、左右に句碑(?)が並んでいます。
左は法眼護物の句碑「嶺は今朝ことしの雪や木曽の秋」右は読めません。
その他いくつかの石碑が並んでいました。
紅葉した木がとても綺麗でした。
ここにも石碑が立っていますが殆ど読めませんでした。
道は石畳に変りました。
石畳は歩きにくいので注意して進みます。
石畳は数百メートル続き、石畳の終わりが見えてきました。
石畳も終わり普通の道に戻ったところに赤く塗った小さな祠がありました。
原町稲荷と言う表示がしてあります。
カラマツ林の中を歩くと、
やっと山道は終了です。
熊の心配はひとまず消えました。
後は道なりに進んでいきますがかなり急な下り坂です。
天降社と言う神社のモミジは紅く色づいています。
木祖村最大のモミジであるという案内が立っていました。
その横には、原町清水と言う水場があります。
昔からある水場のようです。
集落の中を下っていきます。
尾州御鷹匠役所跡の標柱が立っています。
ここは元尾張藩の領地でした。
鷹狩り用の鷹をとらえるためにこの地に鷹匠が駐在していたとか、
藪原宿の町に入りました。
藪原宿は鳥居峠を控えて、とても賑わった宿場だったという事です。
(本陣・1、脇本陣・1、旅籠屋・10)
藪原宿は野麦峠を越える飛騨街道との分岐点でした。
度重なる火災で、昔の面影はほとんどありません。
建物の断面はこんな形です。
藪原の特産品お六櫛のお店です。
頭痛に悩んでいた旅籠の娘「お六」は、持病の頭痛を治したい一心で御嶽山に詣で願をかけました。
お告げに従って、「ミネバリの木」で作った櫛を使い朝夕に黒髪を梳いてみました。
そうすると不思議なことに病は全快しました。
お六は、この御利益を同じく頭痛に悩む人々にも分けてあげたいと願います。
「ミネバリの木」で作った櫛を売ってみました。
鳥居峠を越える東西の旅人の間で評判となりました。
その後薮原宿の名産「お六櫛」として全国的に知られるようになりました。
(ネットより引用)
17時近くなりました。
藪原には泊まるところがありません。
この日は塩尻まで戻って泊まります。
少し進んで藪原駅の案内に従って駅に急ぎます。
線路の下を通って急いで駅に走ります。
やっと藪原駅に到着しました。
16:48発の電車にぎりぎり間に合いました。
電車に乗ると次の奈良井駅で大勢の外人が下車しました。
この日、奈良井の旅館又は民宿に泊まるのでしょう。
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17:28、塩尻駅に着きました。
この日は駅前のホテルです。
塩尻駅前は食事をするところがほとんどありません。
この日はコンビニ弁当で夕食にしました。
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鳥居峠はこんなところにあります。
この日の歩数です。
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本日もご訪問ありがとうございました。
次回は最近のフォト散歩です。
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次回は近所の散歩写真となります。
中山道歩き21-2(2016/10/30) 11月19日(土) [中山道を行く]
昨日は比較的暖かい天気でした。
しかし、午後3時を過ぎると暗くなり始め寒くなります。
今日は雨ふりで陽が当たらない分寒く、明日は晴れで暖かくなる予報です。
紅葉は例年より遅いかと思っていましたが、例年並みのような感じです。
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前記事の続きです。
奈良井宿の京方の端から鳥居峠越えに入ります。
ほとんど読めませんでしたが道標の様です。
左上 鳥居峠 右下 奈良井宿の文字がかすかに読めました。
100mほど進むと林道に出ました。
坂道が続いています。
すぐに旧道への分岐点がありました。
石畳の道が続きます。
慌てて熊ベルを付けました。
この日は10月30日ですが、この辺りでは晩秋の山です。
高尾山のような人だらけではなく静かな山です。
男の私でも怖いぐらいの静けさでしたが、一人歩きの女性とすれ違いました。
展望台がの案内がありましたので行ってみました。
奈良井宿が見えるはずですが、草木が茂っていて見えませんでした。
その代り、周囲の紅葉が綺麗でした。
今はこの時から3週間も経っているので、もう散ってしまっているでしょう。
道に戻って進みます。
ニヤケ?顔の石仏に会いました。
静かな道を進みます。
中の茶屋休憩所に着きました。
と言ってもお茶屋さん跡です。
右の案内板によれば、
天正10年(1582)2月木曽義昌が武田勝頼の軍を迎撃し大勝利をした古戦場です。
その時の数百人の戦死者を葬った場所で、葬沢と呼ばれています。
暗くなったら通りたくない場所です。
長居は無用で進みます。
足元は落ち葉だらけです。
この日は日曜日、時々すれ違う人もいます。
この道の左側は急な崖になっていて下は沢です。
こちらは外人のカップルでした。
このほかに数人のグループとすれ違いました。
何処から来たの?と聞いたら、シンガポールと言ってました。
この辺りで太ももが痛くなりペースが落ちます。
鳥居峠の一里塚跡まで来ました。
足を引きずりながら、鳥居峠の峰の茶屋(跡)まで来ました。
2週連続の街道歩きで筋肉痛になったようです。
(50代の頃は、2週連続丹沢の塔ノ岳に登っても平気でしたが、60代後半の現在では堪えます)
鳥居峠は奈良井川と木曽川の分水嶺す。
奈良井川は千曲川と合流しさらに信濃川となり日本海に流れます。
木曾川は中津川、などを通り伊勢湾に流れます。
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明治時代の横浜の写真家、日下部金兵衛が撮った鳥居峠の光景です。
(白黒写真に色づけしたものです)
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ここは避難小屋になっていて、サッシの建具が付いて、中は板の間になっていました。
トイレ、水場もあり、寝袋があれば泊まることもできるような所でした。
この前には林道が通っています。
少し長めの休憩をして先に進みます。
明治天皇の駐蹕(ちゅうひつ)の碑が立っています。
この後林道に戻りましたが、ここで少し間違い。
綺麗な紅葉を見ていました。
ここで間違いに気づき引き返します。
先ほどの小屋の前の林道に戻ったつもりでしたが間違えでした。
こちらの道が正しいですが、なんと物騒な!
もちろん鐘を慣らして進みます。
この辺りは栃の木が沢山あります。
だから熊が多いのでしょう。
ここから下りの道中記は次回に
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本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き21-1(2016/10/30) 11月17日(木) [中山道を行く]
暖かくなったり寒くなったり繰り返しが続いています。
体の調子がおかしくなります。
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記事タイトルを少し変えました。
今日のタイトルは「中山道歩き21-1(2016/10/30) 11月17日(木)」です。
21日目の一つ目の記事で、実際に歩いた日が2016年10月30日です。
記事アップ日は11月17日です。
今回の旅は一人なので下のイラストも元に戻しました。
前々記事の通り、10月20日、21日に塩尻から奈良井まで歩きました。
奈良宿は34番目の宿場で、宿場の数で言えば、ほぼ半分まで来たことになります。
(距離上の中間地点はもう少し先にあり、10月31日に通過しました・後日掲載します)
21日に奈良井から帰り、次の行程の道などを確認していました。
次は11月上旬を予定していました。
ある日、JRのジパング倶楽部の手帳を開いてみると。
会員証を差し込むところにクレジットカードが入っています。
本来はこんな形になります。
考えてみると、10月21日に塩尻の駅で帰りの切符を購入する時に使いました。
支払いはクレジットカードで払いました。
会員証を塩尻の駅で忘れたか、落としたかのどちらかです。
塩尻の駅に電話しようと電話番号を調べましたがわかりません。
(駅の電話番号は公開していないらしいです)
JR東日本の遺失物の窓口に電話して調べてもらったら予想通り塩尻の駅にありました。
・
再発行しても時間がかかりそうです。
いずれにしても近いうちに続きを歩くために塩尻に行かねばなりません。
考えている最中にジパングの事務局から連絡があり、塩尻駅から電話がかかっているとのこと。
その後、塩尻駅から電話がありました。
取りに行くから駅に置いておくようにお願いしました。
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奈良井から帰って1週間も経っていないのに急いで宿泊の手配をして10月30日に出かけました。
・
午前6時過ぎに家を出て、八王子まで行き、8:31発のスパーあずさ5号に乗りました。
前日は雨が降っていましたが天気予報では雨は上がる予報でした。
大月あたりでは、山には雲がかかっています。
笹子トンネルを抜けて、勝沼辺りから見た甲府盆地です。
スーパーあずさは停車駅が少ないので速いですね。
八王子の次の停車駅は甲府です。
甲府を出て韮崎付近では雲が高くなり、青空が見えてきました。
小淵沢を過ぎると、綺麗な青空が見えてきました。
塩尻に定刻、10:28に着きました。
奈良井方面の電車は10:50発です。
この間に、事務所に行き、ジパングの会員証を引き取りました。
一件落着です。
結局片道は普通運賃で行くことになりました。
(ジパングを使っていくと30%引きなので、2000円以上差があります)
・
塩尻発10:50発で11:13に奈良井駅に着きました。
この日は峠越えをしなければなりません。
とりあえず駅の近くの蕎麦屋で腹ごしらえをしました。
町並みを奥に進みます。
前々回の記事と内容が一部重なりますのでご容赦ください。
日曜日なので混雑しているかと思っていましたがそうでもありません。
お店の中も混んではいません。
店の前の花が色を添えます。
通りから路地の奥を見るとお寺の入り口が見えました。
臨済宗妙心寺派の大宝寺と言うお寺です。
本堂は江戸時代に建てられたものです。
江戸時代後期に作られた旅館「伊勢屋」は今でも泊まれるそうです。
一度泊まってみたいな~と思っていますが・・
奥に長い建物です。
のどかな感じです。
10月21日に来た時は、平日でしたのでこのお店は開いていませんでした。
この日は日曜日なのでおいしそうな団子が並んでいました。
みたらし団子を1本いただきました。(少し食べています)
こんな家がありました。
この家は住居として使用されているようで、本来は壁のところに玄関が作ってあります。
奈良井宿の町の家はこんな形をしているのでしょう。
曹洞宗長泉寺の案内が立っています。
先ほどの大宝寺は臨済宗、この辺りは禅宗が盛んだったのでしょうか?
こんなポスターが貼ってありました。
皇女和宮の御下向行列の再現の催しがあるようです。
「鍵の手」まで来ました。
一週間のうちに紅葉がすすんだようです。
ホウズキの飾りが柿に変っていました。
前回はここまで来ませんでした。
中に入ってみたら、結構人が入っていました。
土産物屋さんが並んでいます。
こんな物もありました。(左・1200円、右・1300円です)
奈良井宿の町並みも終わりになりました。
高札場が復元されています。
最後の水場です。
その先に神社の姿が見えてきます。
鎮(しずめ)神社が立っています。
ここからの峠越えの無事を祈りました。
これは私ではありません。
馬頭観音などの石碑を見ながら進んで、
ここは標高約950mです。
鳥居峠の頂上は1200mです。
右の階段を上って峠越えのスタートです。
次回に続きます。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き20ー3(2016/10/21) 11月13日(日) [中山道を行く]
昨日は久しぶりに暖かい日でした。
雨上がりのきれいな晴天で、雪をかぶった富士山が雲の上に突き出していました。
昨日までの服装で散歩に出かけましたが、帰ってきたら汗びっしょりでした。
慌てて下着まで着替えました。
・
11月9日の記事の続きです。
前回の記事では奈良井駅付近の見どころ紹介でした。
今回は奈良井宿の町並みに入っていきます。
写真などでは見たことはありましたが、実際に来るのは初めてです。
混んでいるときに来たことがないのでわかりませんが、人も多くなく静かでした。
贄川宿もいくつかありましたが、奈良井宿でもこのような水場が6か所あります。
土産物屋、旅館、民宿、蕎麦屋など古風なショッピング街とでもいえるような街並みです。
各お店はいろんな趣向で装飾しており、撮り歩きには題材が沢山あります。
民宿の入り口
杉の森酒造ですが、杉玉もついてなく、現在は営業していないようです。
たばこの看板、「煙草」の文字、丸いポスト、半世紀前ぐらいの感じです。
ドライフラワーを売っていた店の店頭に、・・・ザクロかな?
このようなトウモロコシもあるんですね。
主にドライフラワー用の新品種だそうです。
結構長い通りです。(約1km)
奈良井宿は昭和53年に国から重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。
奈良井宿は本陣・1、脇本陣・1、旅籠・5の宿場町でした。
本陣跡はこれが建っているだけです。
横の建物は公民館です。
その横には、
桧で出来ているわけではありませんが、きれいなトイレでした。
屋根の隅を松の木が貫くように屋根を作ってあります。
12時半を過ぎています。
お腹がすきました。
もりそば、1000円は観光地価格ですね。
おすすめセットにしました。
左上はさくら茶です。
礼宮(秋篠宮)さんが、学生時代に友人たちと立ち寄ったとか、写真や色紙が壁に貼ってありました。
蕎麦屋ですからこんなものも。
こんな店です。
昼食後もう少し進みます。
手塚家住宅で明治天皇が休憩されたところです。
手塚家は、宿場の問屋役、同時に庄屋役をつとめた家です。
現在は上問屋史料館として公開されています。
時間がないので入りませんでした。
カメラを向けたくなる光景が目に入りました。
奈良井宿は江戸寄りから下町、仲町、上町と別れています。
仲町と上町の間に「鍵の手」と言われる曲がり角があります。
そこには荒沢不動尊の建物がありました。
不動尊ならばお寺?
神仏混交の名残でしょう。
鍵の手の奥にはまだ続いていましたが町並みはほぼ終わりです。
中山道は正面の山を上り藪原宿に続いています。
この時12:55です。
13:25分の電車に乗らなければいけません。
ここで引き返します。
途中あちこち写真を撮りながら歩きます。
日野百草本舗の店先です。
百草丸は江戸時代から伝わる薬です。
これは何処だったか?
京都の先斗町にでもありそうな光景です。
奈良井宿の町並みの案内図です。
まさに商店街です。
奈良井駅に着きました。
駅員はいませんが、観光案内所も兼ねているので、女性の担当はいます。
奈良井駅の時刻表は・・・乗り遅れたら大変です。
この続きの行程があるので再度来ることになります。
13:25の電車が来ました。
電車は2両連結、ワンマン列車です。
下りる時は一番前の運転席まで移動しなければいけません。
途中で乗るときはバスの様に整理券を取ります。
精算機が運転席の後ろについています。
13:49に塩尻に着きました。
13:56の特急あずさ20号で帰りました。
八王子に16:01着ですが、そこから我が家の最寄り駅までまだ1時間半かかります。
遠いです。
・
今回は10月20日、21日の中山道歩きでした。
歩数は2日合わせて約52,500歩でした。
・
この後10月30日~11月1日に続きの行程を歩いています。
次回はこの時の記事になります。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き20-2(2016/10/21) 11月9日(水) [中山道を行く]
昨日はほとんど曇り空でした。
久しぶりに上野の美術館に出かけましたが、少し疲れました。
上野公園の木々も少し、色づいていました。
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中山道の続きです。
木曽平沢の町を出て、奈良井方面に向かいます。
振返って木曽平沢方面を見ます。
本来の中山道は左の広い道を歩きますが、案内に沿って右の細い道に入ります。
まわりこんでJRの線路の下をくぐります。
川沿いの道を歩きます。
歩いている途中に川向うに一里塚跡の案内がありました。
橋戸一里塚で江戸から64番目です。
江戸時代の半ばまでは川の向こうが中山道だったとのことで、一里塚はこの場所にあります。
進んでいくと木造の大きな建物がありました。
木曽楢川小学校の建物です。
素敵な建物です。
とんがり帽子の先には風見鶏が付いています。
庭には真っ赤に紅葉した木もあります。
普通の道路になり、JRの踏切を渡ります。
前方左下に奈良井駅が見えてきました。
右手に大谷石の建物があります。
漆器屋さんの建物でした。
建てられたのは新しく、昭和36年です。
列車の音がするので振返って線路を見ると、貨物列車で、電気機関車の重連でした。
慌てて撮ったのでヘボ写真です。
遠くに奈良井宿の家並みが見えてきました。
駅周辺を先に回ってみます。
駅の向かい側の坂を上ります。
杉並木、二百地蔵を見に行きます。
杉並木は短く、杉の木も20本程度でした。
地蔵堂の前に沢山石像が並んでいます。
明治になってから、鉄道、道路を作るときに奈良井周辺ににあった石仏を集めた物のようです。
駅に戻って、奈良井川の辺にある公園に向かいます。
カフェの前には赤くなった木が沢山あります。
森林鉄道の車両が展示してありました。
横の公園には、
川の向こうの道の駅に渡る太鼓橋があります。
木曽大橋と言い、木曽ヒノキで作られた橋です。
紅葉の木を見ながら、宿場の方に向かいます。
次回は、中山道の記事ではなく、他の記事を挟みます。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き20-1(2016/10/21) 11月7日(月) [中山道を行く]
昨日は晴れ、それほど寒くはなく気持ちの良い天気でした。
先週の冷え込みほどではなくなりましたが、朝晩は冷え込みますね。
朝晩は暖房が必要な季節になりました。
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前記事の続きです。
10月20日の夜は、贄川から塩尻まで戻り、ルートイン塩尻に宿泊しました。
(この辺りは泊まるところはなく、塩尻まで往復するしかありません)
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翌日塩尻駅から8:17の電車で贄川まで行きました。
15分位で贄川駅に着きます。
駅前には贄川宿の大きな看板があります。
贄川宿は本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠屋25軒の比較的小さな宿場町だったようです。
国道から左に折れて、線路を渡ります。
橋の欄干にはこんな飾りが付いています。
橋のたもとに、関所跡の建物がありました。
昭和51年に復元されたもので、中は資料館になっています。
(中には入りませんでした)
贄川宿の町並みを進みます。
昭和初期の大火でほとんどの建物が焼失したそうですが、一部古い建物もあります。
この建物は、国の重要文化財です。
これから先の木曽平沢に向けて漆器屋さんが多くなります。
この先は旧中山道は消滅しているので、ここで曲って、国道に戻ります。
国道に戻って進みます。
中山道のとちの木が見えました。
樹齢600年以上、幹回り8.6m、高さ32mの大木です。
こういう光景は旧街道の特徴ですが、新しい国道づくりの時に移設された物も多いです。
大きな漆器屋さんがありました。
中山道は、このお店の横を進みます。
その先はこんな道に変りました。
足元には栗のイガがたくさん落ちています。
よく見ると栗の実もたくさん落ちていました。
同行した家内は一生懸命に拾っています。
収穫です。
その後、狭い集落を通って、
出た所に一里塚跡がありました。
63番目です。
国道に出ると奈良井川を渡ります。
奈良井川は信濃川水系なので北に流れています。
鉄道の鉄橋の下を通ります。
贄川、奈良井間は単線です。
これは野葡萄かな?
大きな漆器工場がありました。
このまま、まっすぐに行くのではなく、手前の電柱の横に入ります。
工場の裏手の道が旧道です。
すぐに国道に出ました。
木材を積んだトラックが走っています。
さすが木曽路です。
旧街道歩きをしているとほとんどコンビニはありません。
この日初めてのコンビニです。
飲み物、軽食を購入し小休止しました。
その後は国道から離れます。
広い道ですが、メインの道路でないので静かです。
横は道の駅ですが、紅葉が綺麗でした。
漆器屋さんの店が増えてきました。
このカーブを曲がると、
木曽平沢の町が始まりました。
漆器屋さんが沢山並ぶ街並みです。
平日なのでお客さんの姿が見えません。
店に入るときに叩くのでしょうか・・
こんなポスターをいくつか見ました。
6月のイベントのポスターです。
こういうところを歩くのも楽しいです。
突然、漆塗りのスバル360が店内に展示してある店の前に来ました。
朱塗りのお椀の色です。
車内のハンドルとか、ダッシュボードも漆塗りです。
車検もとって公道を走れるとのことで、ナンバープレートもついていました。
このような漆器屋さんが並んでいます。
この地区は、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
木曽平沢の町を出て、次は奈良井宿に向かいます。
次回に続きます。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き19-2(2016/10/20) 11月5日(土) [中山道を行く]
昨日、一昨日、朝は冷え込みが強く寒かったですが、昼間は天気もよく暖かい日でした。
散歩すると汗ばむような天気でした。
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前記事の続きです。
本山そばの里で休憩した後、この日の予定地贄川駅に向かって歩きます。
約8kmあります。
旅籠だったであろう建物が並んでいました。
どの建物も出梁造りで、袖うだつがあります。
国登録有形文化財です。
玄関の式台も立派です。
現在も人が住んでいるようです。
数軒先の玄関には、米なのか蕎麦なのか不明ですが・・
宿場の集落の終わりに近づきました。
高札場跡、秋葉大権現の石柱が立っています。
しばらく静かな道でしたが、国道と合流します。
お気づきでしょうか、前回の記事もそうでしたが、タイトルの絵を変えました。
今回は監視付き(?)の旅です。
奈良井宿が見たいというので連れて来ました。
右前方を歩いているのは家内です。
本山宿は終わりです。(国道の車用の看板です)
しばらく国道歩きになりました。
この先、右手の踏切を渡ります。
コスモスが咲いていて、気分が和みます。
日出塩の集落に入ります。
この日は中山道歩きの人とすれ違うことはほとんどありませんでした。
このお寺の周辺で、大勢の人とすれ違いました。
旅行会社のツアーでした。(クラブツーリズムなどのツアーがあります)
綺麗なお寺でした。
国道や、鉄道が後に出来たため旧街道は残っていません。
場所によってはこんなところも通ります。(上は鉄道の鉄橋です)
鉄道と言っても普通列車は2両連結ですよ。
しかも1時間に1本程度です。
道路はひっきりなしに自動車が走っています。
初期中山道の案内がありました。
江戸初期の中山道はここから峠を越えて下諏訪の方に向かいます。
(下図はネットより引用)
今までは旧国名で言えば信濃の国でしたが、ここから木曽になります。
江戸時代は、尾張藩の一部だったそうです。
大きな石に彫ってあります。
ここでしばらく進んでから間違いに気づきました。
引き返すと、道路の反対側にこんな道があります。
車の合間を見て横断し登っていきます。
こんな道に出ました。
右下は国道です。
坂を下ると、観世音菩薩などが並んでいました。
結局、国道と離れたのは少しだけでした。
立派な門のある家が建っています。
明治天皇の行幸の時のお休み処です。
桜沢と言う集落に入っていきます。
江戸から62番目の若神子の一里塚跡です。
一里塚は普通街道の左右に一対の木が植えられていますが、鉄道の開通、国道の工事で無くなりました。
集落にはところどころ水場があります。
線路と道路を見下ろす道になりました。
時には森の中に入ります。
木の下で石柱、石碑が半分ぐらい埋まった状態です。
何年も、ほったらかしでしょうね。
再び、道路と線路を見下ろして歩きます。
道は下っていき国道に合流しました。
この日のゴール、贄川駅に着きました。
一日に上り(名古屋方面)12本、下り(松本方面)12本しか止まりません。
無人駅です。
16:06の電車で、塩尻に向かいました。
10月20日の中山道歩きでした。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き19-1(2016/10/20)11月3日(木) [中山道を行く]
ちょっと休んで失礼しました。
留守中、今秋の中山道歩き第3回目に行ってきました。
休み中のご訪問ありがとうございました。
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昨日は寒かったですね。
12月中旬の気温だったとか、太陽の姿もなく、部屋では暖房を入れました。
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今秋の中山道歩き2回目の記事になります。(10月20日、21日)
前回と同じあずさ3号で塩尻に向かいました。
塩尻駅に10時過ぎに到着しました。
前回は下の地図の赤い丸印まで行ってます。
タクシーでそこまで移動しました。
タクシーを下りたら横をこんな車が通り過ぎました。
この辺り一帯はブドウ畑です。
送風機みたいですが何に使うのでしょう。
この交差点から始まります。
いきなり国道歩きが始まります。
ブドウ、リンゴなどの即売所がありますが、持って歩くわけにいきません。
ガソリンスタンドの手前から道は分かれます。
ガソリンスタンドの裏を回ります。
すぐに大きな交差点に来ました。
交差点で、先ほどの大きな国道(19号線)を横切ります。
天気は上々、暑くもなく、寒くもなく気持ちの良い日でした。
静かな道路に変ります。
左の建物の屋根のとがった飾りは、この辺りの家の屋根によく見られます。
「雀返し」と言われ、「雀おどり」「雀おどし」ともいわれるそうです。
この形の他にいくつかの形があるそうです。
進んでいくと下り坂になり右側に松の木が見えます。
肘懸松と言われ、中山道の名木と言われています。
この辺りから洗馬宿の始まりです。
松の横から下る細い道を下りて行きます。
坂道を下ると常夜灯がありました。
上の写真の右の方から来ましたが、奥に見える道路は善光寺へつながる街道です。
中山道を200mぐらい進むと、中山道(車用)と善光寺街道の分か去れ(分岐)がありました。
洗馬宿の中に入っていきます。
道幅は広く、現在の国道19号線ができる前の旧国道と思われます。
今は交通量は少なく静かな通りです。
本陣跡の場所には普通の建物がありました。
ひび割れの補修跡がすごいですね。
窓が全て閉まっていますので空き家でしょう。
隣にあった案内板です。
荷物の目方を測る場所だったようです。
中山道には、洗馬、追分、板橋にあったそうです。
明治天皇行幸の時立ち寄った場所でしょう。
このような場所はあちこちにあります。
稲荷神社かと思わせるような、赤色の門の寺がありました。
万福寺と言うお寺でした。
洗馬宿の高札場跡です。
洗馬(せば)宿は、本陣・1、脇本陣・1 旅籠29の宿場町でした。
洗馬と言う名前は木曽義仲の馬を洗った故事から来た名前であると伝えられています。
洗馬宿は1613年に中山道のルートが変り、後からできた宿場町です。
洗馬宿は終わりに近づきました。
ここまで配達中の郵便屋さんと抜きつ抜かれつしばらく一緒でした。
向こうから車が来たら怖いガード下をくぐります。
しばらく進むと、見通しの良い道になりました。
電車の音がするので、線路を見ると名古屋から来た特急しなのが走っています。
ススキも白くなって、もうすぐ綿毛が飛んでしまうでしょう。
こんな細い道を抜けます。
交通量の多い、国道19号線と合流します。
この時ちょうど12時でした。
車の音はうるさいですが、歩道があるので歩くのは怖くありません。
うるさい道は15分ほどで終わります。
すぐに見えたのはこの看板。
静かな道です。
以前は交通量が多かったでしょうね。
本山宿の入り口です。
石仏などが並んでいます。
庚申塔二基、供養塔、二十三夜燈、南無阿弥陀仏二基、地蔵尊二体
馬頭観音二体、道祖神などです。
道路の横には刈り取り前の蕎麦。
その先に見えてきました。
昼食はここで摂る事にしました。
こんな蕎麦です。(そば粉100%かどうか不明ですが、切れた蕎麦が多かったです)
そして、そば団子(?)・・そばがきに味噌を塗ってありました。
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ここで40分ほど休憩しました。
続きは次回に
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本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き18-5 10月27日(木) [中山道を行く]
昨日の朝、天気が良いので朝は富士山が見えました。
頂上の、山梨県側の方が白くなっていました。
富士山の初冠雪が報道されていました。
昼間は暑いぐらいの天気でしたね。
半袖、半ズボンの人も見かけました。
気温の変化が激しく、体調管理にはお気を付けください。
・
前回の続きです。
下図の赤い星印が前記事の終わりです。
この日の最終地点は赤い丸印の地点としました。
歩き始めてすぐに大きな木が見えてきました。
大門神社の大ケヤキです。
先を急ぎますので外から見るだけです。
少し進むと耳塚という小さな祠がありました。
素焼きの皿やお椀に穴をあけて奉納すると耳の聞こえが良くなるといわれています。
中には皿やお椀が、沢山吊るされています。
夕方の日差しが道祖神を照らしています。
塩尻宿の中心からは離れていますが、このような大きな家が残っています。
上の写真の家の隣にも同じような家がありました。
軒先には使わなくなったリヤカーが置いてあります。
やがて中央(東)線のガードの下をくぐります。
しばらく行くと右側には昭和電工の大きな工場がありました。
歩道はありません。
昭和電工の塀に沿って進みます。
ショートカットの道なので交通量は多いですが、道幅が狭く大型トラックは通りません。
やがて道は田園地帯になり畑が広がってきました。
これは大根では無さそうで、へちまに見えます。
でもへちまはぶら下がって実りますね。
こちらは蕎麦ですね。
もうすぐ収穫でしょうか。
こちらはキャベツです。
この写真と関係ありませんが、今、スーパーに行くとものすごく高いですね。
大きな木が見えてきました。
平出一里塚です。
日本橋から59番目です。
反対側にもあります。
稲穂が夕陽に照らされ黄金色です。
空は青空、空気は澄み切っています。
この近くに平出遺跡と言う縄文式住居跡があります。
竪穴式住居などのが復元されています。
少し離れていたので立ち寄りませんでした。
この辺りから両側は葡萄畑になります。
中央(西)線の踏切を渡ります。
塩尻駅方面を見た写真です。
小ぎれいな建物があります。
ワイナリーでした。
これはワイン用でしょうか。
塩尻は日本でも有数なワインの産地です。
ブドウ狩りができるようです。
この日の最終地点に着きました。
17:00丁度でした。
ここから塩尻駅方面に向かって歩きます。
とりあえず終わったと思うと急に足が重くなります。
景色が綺麗なのが幸いです。
今回のコースは下諏訪のローソンからコンビニ、自販機が見当たりませんでした。
かなり水分不足になってしまいました。
ホテルについて一休みしたら、足の痙攣が起き、ちょっと大変でした。
真夏でなくても水分補給は重要ですね。
みどり湖サービスエリアで水を補給するべき、赤い星印で中止するべきでした。
反省点が多い日でした。
この日歩いた場所は
この日の歩数は
最初の計画では10月7日に洗馬宿まで歩き、8日に贄川宿まで行く予定でした。
下諏訪で道を間違えたのが後まで影響が出ました。
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で、翌日は朝から曇天でした。
歩いて駅まで行き様子を見ることにしました。
今にも雨が降ってきそうな空です。
駅に着いた途端、空は暗くなり土砂降りの雨になりました。
二日目の予定は取りやめて帰宅することにしました。
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10月7日現在ここまで来ています。
中間地点まではもう少しかかります。
出発してからの記録です。
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この表は10月7日現在の記録ですが、本日現在、もう少し進んで奈良井宿まで行ってます。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き18-4 10月25日(火) [中山道を行く]
10月7日の街道歩きの続きです。
塩尻峠から下ってきて、道は平坦になりました。
塩尻宿の始まりです。
153号線沿いに塩尻宿はあります。
歩道はありません。
いきなり双体道祖神がありました。
ここの道祖神は変わっていて、男女が抱き合っています。
ここらあたりが塩尻宿の入り口だったところです。
庚申塚などが並び、旧街道の趣はありますが実際は交通量の多い通りです。
ここの相対道祖神は普通の形です。
天保年間に作られた旅籠で屋号は「いてうや」と言います。
小野家住宅で国重要文化財です。
下問屋跡に復元された高札場が立っています。
その向かいには本陣跡の大きな看板が立っています。
本陣は明治時代、火災で焼失しました。
隣の脇本陣跡に塩尻宿の看板が立っています。
この辺りが宿場の中心だったと思われます。
塩尻宿は本陣・1、 脇本陣・1、旅籠・75の宿場でかなり大きな宿場だったようです。
しばらく行くと陣屋跡に古風な造り酒屋がありました。
笑亀酒造です。(明治16年開業です)
15時半頃で日差しが真正面から来ます。
酒蔵見学も出来るそうですが、中には入りませんでした。
杉玉には注連縄もついています。
横にはなまこ壁の穀蔵が立っています。
153号線から外れ、細い道に入ります。
鉤の手跡の石柱が立っています。
曲るとすぐに神社がありました。
阿禮神社と言い格式高い神社という事です。
夏の例大祭は山車が出て大変な賑わいだそうです。
神社では一礼だけして進みます。
この通りは車もほとんど来なくて静かな通りです。
双体道祖神はあちこちに見られます。
文化年間(1804~1818)に建てられた堀内家住宅は修理中でした。
国指定重要文化財の建物ですがこれでは見られません。
静かな道はすぐ終わり、中山道は153号線に戻ります。
道端にお巡りさんがバイクにまたがってじっと見ています。
何か狙っていますね。
それはどうでもいいので、進みます。
合流地点には石塔が並んでいました。
蠶玉大神、秋葉大神、庚申、道祖神、南無妙法蓮華経
蠶玉大神があるのは養蚕が盛んだったのでしょうね。
153号線を進みます。
下大門という分岐に来ました。
この時、15:54です。
日暮が早くなっったと言ってもまだ明るいです。
下の図で赤い星印のところにいます。
上の青い星印はこの日泊まるホテルです。
元々の予定は左下の緑の星印の洗馬駅でした。
翌日の事も考えて赤い丸印まで行くことにしました。
道は間違えてはいませんが、後で苦労をしました。
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次は10月7日の道中記、最終です。
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最近天気も安定し街道歩きにはいい天気です。
この秋に何処まで行けるか計画中です。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き18-3 10月23日(日) [中山道を行く]
気温の変動は激しいですが、天気が比較的安定してきました。
10月7日の記事が終わっていませんが、20日、21日に続きの区間を歩いてきました。
今回は天候にも恵まれ、奈良井宿まで行きました。
道中記は後日アップします。
・
塩尻峠からの続きです。
・
塩尻峠から、諏訪湖の展望を見た後は下るだけです。
すぐに林の中に入っていきます。
下ってすぐに茶屋本陣跡がありました。
中は非公開です。(上の写真の建物が茶屋本陣かどうかわかりません)
木漏れ日が射すような道ですのでそれほど深い森ではありません。
一里塚の案内があります。
東山一里塚と言い、江戸から57番目の一里塚です。
こんな案内看板は始めて見ました。
「大名行列も 皇女降嫁も 野仏は 黙し迎へむ 中山道に」
林から出て明るい空が見えてきました。
道路が二手に分かれています。
この案内は助かります。
秋明菊はあちこちに咲いています。
道端に、石碑が二つ、左側は半僧坊大権現、右側は読めません。
道路下の木立の間に神社の祠が見えます。
反対側はのどかな光景が広がっています。
こんなところで暮らすのも大変でしょうね。
こういう景色の中を歩くと気持ちがいいです。
道は徐々に下っていきます。
国道20号線に出てきました。
が、左下案内の通りすぐに横道に入ります。
畑の横を通っていきます。
綺麗な花が植えられていました。
今でも使われているとは思えませんが。
また20号線に出て200mぐらい20号線を進みます。
交通量が多いですね。
20号線から外れて細い道に入ります。
しばらく行くと地面に!!
動かないので、ストックでつついてみると死んでいました。
車にひかれたわけでもないのに不思議です。
寒い日でもあったのでしょうか???
林の中を歩き進みます。
どこかの会社の保養施設かな? と思ったら宗教団体のようです。
再び20号線に来ました。
中山道は直進です。
地下道があったので助かりました。
地下道を出ると目が覚めたような気分になります。
横にお洒落な建物がありましたが、ワイナリーでした。
坂道を下っていくと、長野自動車道の上を横断します
みどり湖パーキングエリア(上り線)が見えます。
こちらは下り線。
横の階段から降りることは出来ますが、下りませんでした。
金網越しの写真なので見苦しいのはご容赦ください。
少し休んで、進みます。
道はどんどん下がっていきます。
向こうの山は穂高ではないかと思いますがわかりません。
道端には馬頭観音
空は青空、コスモスも咲いて空気もいいし楽しい旅が続きます。
下り坂がさらに急になります。
柿沢の集落です。
曲がり角にこんな案内があります。
怖いような案内です。
ちょっと寄り道をしてみました。
天文17年(1548年)、この辺りで武田晴信と小笠原長時の合戦が行われた。
小笠原軍が大敗で終わり、残された亡骸を葬ったという事です。
中山道に戻り、案内があった所には道祖神が残されていましたが殆ど風化しています。
立派な蔵がある家が並んでいます。
綺麗に漆喰が塗ってあります。
これは何をするものでしょう??
鉄骨で作った鳥居みたいなものがありますが何でしょうね。
道路は平地になりました。
火の見櫓の下の道を左に進みます。
この火の見櫓も使われているかわかりませんね。
裏道のような細い道を進むと、153号線に出ました。
ここの標高は約750mなので、塩尻峠から250mほど下っています。
ここから、塩尻宿の始まりです。(この時15:03です)
次回に続きます。(10月25日に更新します)
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本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き18-2 10月18日(火) [中山道を行く]
中山道18日目の続きです。
前回の記事の通りこの日は道を間違えて遠回りをしてしまいました。
地図なしで歩いているわけではありません。
事前に調べて行きます。
長野県の観光協会に頼めば、各種見繕って送ってくれます。
中山道を歩く資料と頼んだら下の地図の他に沢山資料を送ってくれました。
下の地図は、
上・・・碓氷峠から下諏訪
中・・・下諏訪から日出塩
下・・・日出塩から、妻籠宿、馬籠宿まで。
中を開くとこんなページが続きます。
その他に、体験者のホームページなどで調べて、地形図をプリントし自分で作っていきます。
緑の色付けした道です。
時間があるときは、Googlemapでストリートビューを見て確認していきます。
これだけしていたのに迷ってしまいました。
・
正しい道に戻り、進みます。
今井中山道というバス停がありました。
この辺りはあっちもこっちも、今井さんという家でした。
地名も今井というような気がします。
この道は大丈夫ですね。
明治天皇今井小休所というところに来ました。
江戸時代は大名などが塩尻峠から降りた時、上る前に一休みした場所です。
皇女和宮の降嫁の時、明治天皇の巡幸の時等に使われた場所のようです。
中に入ると大きな屋敷が建っていました。
地図には「旧御休所本陣今井家」と表されています。
道に戻り進みます。
ここまでは家が続いていましたがまばらになりました。
右 しも寸わ
左 しほじり峠
続いて不動尊の石碑が続きます
旧に開けた場所に出ました。
12時を過ぎています。
これから塩尻峠に登っていきますので、ローソンで買ったおにぎりで昼食にしました。
この日は、塩尻宿の次の洗馬宿まで行こうと思ってたので休憩は少しで済ませ、先を急ぎます。
坂道が急になりました。
後ろを振り返ると岡谷の町、諏訪湖が広がっています。
突然石段の上に建物が見えます。
石船観音です。
横にはきれいな水が流れていました。
鳴沢清水と言い、口に含むと、とてもおいしい水でした。
坂道は続きます。
「クマ出没注意」の看板があったりします。
時々車も通るので、熊は大丈夫でしょう。(一応熊ベルをリュックから出しました)
緩い坂も少しはあります。
道端に大きな石がありました。
高さは5mぐらいあります。
「旧中山道の大石」と言います。
昔はこの石の後ろに盗賊が隠れていて旅人を襲ったとか、
坂道はさらに急になり、歩くペースが落ちてきます。
寂しそうな道だな~と思っていると上の方から人の声が聞こえました。
坂道は終わり、横に上がる坂道がありました。
小さな石の祠があります。
その奥に「明治天皇御野立所」の石碑が建っています。
峠を上ったところで休憩したのでしょう。
ここでは「塩嶺御野立記念祭」というお祭りが毎年開かれるそうです。
一礼をするだけの行事で、日本一短いお祭りと言われてます。
(ほんの30秒ぐらいで終わります)
さらに奥に展望台がありました。
バードウォッチングができる、野鳥の多いところのようです。
展望台に上がってみました。
眼下には諏訪湖が広がっています。
絶景です。
空が澄み切った日には、諏訪湖の右奥に富士山が見えるそうです。
反対側は薄くてはっきりしませんが右奥に穂高の山々が見えます。
しばらく景色を眺め下りることにします。
この場所は、標高約1000mです。
これから先は峠を下るだけです。
次回に続きます。
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