中山道歩き18-1 10月16日(日) [中山道を行く]
約一週間前、5か月ぶりに中山道を歩いてきました。
9月に入れば再開しようと思っていましたが、天気が悪く、出かける事が出来ませんでした。
10月に入り天気もよさそうなので10月7日に1泊2日の予定で出かけました。
翌日の天気予報は曇りでしたが、なんとか行けるのではという気持ちで出発です。
日本橋から下諏訪まで168km歩きました。
まだ半分も行ってません。
家からこの日のスタート地点の下諏訪駅まで向かいます。
朝6時のバスに乗り、根岸線、横浜線で八王子に着いたのは7時40分でした。
特急あずさ5号(8:03発)に乗りました。
(3号の間違いでした)
交通費もかかる様になりました。
通常5830円ですが、ジパング倶楽部料金で4430円です。
特に遅れもなく定刻(9:57)に下諏訪に着きました。
乗ってきた電車を見送ります。
家を出てから4時間余り、下諏訪駅前を10時18分に出発です。
駅前から200mほど進み国道20号線の交差点に来ました。
ここが前回の終点です。(前回の記事はこちら)
T字路交差点を左に進みます。
少し進むと道は分かれます。
街道歩きを長らくしていると迷わず左の方が旧街道であるとわかります。
なんて、自慢していると後で大変な目にあいます。
?いきなりこんな看板がありました
明治維新の折り、官軍の先鋒として年貢半減などを掲げ中山道を江戸へと向かった赤報隊が、維新政府により斬首されたのがこの地。その後、相楽総三らの名誉回復が成され、処刑場所に建てられたのがこの「魁塚」。
相良塚とも呼ばれる。(netより引用)
諏訪大社春宮に向かう通りを横断します。
この先の道はこうなっています。
案内の通り進みます。
家と家の間をすり抜ける様にして通ります。
川の土手に出ました。
今は橋を渡るしか方法はありません。
橋を渡って左に曲がります。
右に曲がってまた家と家の間を通ります。
少し広い道に出ました。
通り沿いの家にはいろんな花が咲いています。
秋明菊が沢山咲いています。
この先もあちこちに秋明菊は植えてありました。
今年は御柱祭の年でした。
前回に来た時は御柱祭の先日で町は賑わっていましたが泊まるところがなかったので帰宅しました。
通りにはずっとこれが飾られていました。
平福寺と言う大きなお寺がありました。
真言宗智山派お寺のようです。
本堂にお参りした後、境内にある日限地蔵尊にもお参りしました。
丁寧にお参りしているお婆さんを見かけました。
境内を出て進みます。
石の道標があります。
右 中仙道 左 いな三ちと彫ってあります。
伊那に行く道でしょう。
旧街道は車も少なくのんびり歩けます。
天気も上々で気持ちが良いです。
大きな交差点に来ました。
この先塩尻峠を越えなければなりません。
ローソンがあるので昼食のおにぎり、飲み物などを買いました。
いざ出発です。(11:20)
ここで大きな間違いをしていますが気づきません。
右下から来て青い道を進むのが正しい道ですが、赤い道を行ってしまいました。
正しい道を進んでいると思っています。
真秀寺というお寺がありました。
持っている地図によれば、ここまでに一里塚跡があるはずですが見当たりませんでした。
小さな案内だけでは見落としますので見落としたと思い進みます。
コスモスと青空が綺麗です。
田んぼの稲刈りも進んでいます。
なんとなくおかしいな~と思いつつ道祖神などがあると正しいと思ってしまいます。
この辺りで変だな?
そう思っていたらこんなところに出ました。
近くで農作業をしていた方に尋ねると、
「あららとんでもない所まで来ましたね」
<やっぱり間違いか・・トホホ >
上の図の川沿いの道を教えてもらい、正しい中山道まで行きます。
中山道に戻りました。
やれやれです。
東海道、日光街道を歩いた時も道間違えはしましたが、これほど大きな間違いはありませんでした。
30分以上の時間ロスをしてしまいました。
未踏のルートが約500mほど残ってしまいました。
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次は塩尻峠に向かいます。
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中山道歩き 17-5 6月14日(火) [中山道を行く]
昨日は小さな台風のような天気でしたね。
通勤の方は大変だったでしょう。
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1か月前になってしまいましたが、5月12日と13日の中山道の旅、最終回です。
午後3時過ぎになってしまいましたが諏訪神社下社春宮に到着しました。
諏訪大社は上社(本宮、前宮)下社(春宮、秋宮)とこの地域に4つの社があります。
上社は上諏訪にあるので知りませんが、下社の春宮、秋宮は立派な社でしたよ。
翌日のお祭りの確認でしょうか、神職の方たちが集まっていました。
注連掛に置いてあった柱は翌日ここに立てられるのでしょう。(建御柱というそうです)
お参りした後、横の浮島を渡ります。
上の写真の赤い橋を渡ると、万次の石仏があります。
岡本太郎や新田次郎が絶賛したとか・・・ ユニークな形をしています。
とても大きな石です。
下諏訪ではぜひとも会いたかった石仏です。
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万次の石仏を見た後中山道に戻り、進みます。
下諏訪の街に入っても、このような石仏、石像がたくさん並んでします。
一里塚がありました。
江戸から55里(約220km)も歩きました。
まだ中間地点には到達していません。
一里塚を過ぎると宿場の中心地に向かって進みます。
この建物は1864年(元治元年)に建てられた伏見屋邸で休憩所として使われています。
もう上り坂はないと思っていましたが、まだありました。
下諏訪宿は中山道の宿場でも温泉がある唯一の宿場町です。
道端にいくつもこのようなものがあります。
これは水でなく、お湯です。
下諏訪宿の本陣です。
中に入ってみたかったのですが、帰りのこともあり通過しました。
甲州街道の終点と中山道が一緒になる地点まで来ました。
甲州街道は、53里1丁 中山道は 55里7丁 あまり変わりませんね。
この地点にあった建物です。
元問屋跡です。
ここは、秋宮は近くなので行ってみることにしました。
その前に、、、、 さる1号さんからストップがかかりそうです。
塩羊羹で有名な新鶴本店はすぐ横です。
持ち帰り用の一番小さいのを購入しました。
諏訪地方は寒天の産地
普通の練り羊羹と違い、生っぽい羊羹で日持ちは1週間です
(翌日、食べましたが、塩味が効いたおいしい羊羹でした)
秋宮はすぐ近くです。
立派なお社です。
注連縄も立派な注連縄です。
この建物の後に春宮で見たものと同じような社がありました。
ここでも翌日の御柱祭に備えて穴が掘ってありました。
今年、御柱祭りで柱から落ちる死亡事故があったのは下社ではなく、上社です。
ここでもテレビ中継の準備が進んでいました。
秋宮にお参りした後、戻って、中山道を進みます。
緩い下り坂を下っていきます。
昔は旅籠が並んでいたでしょうね。
高札場が復元されていました。
秋宮から続く、道はお祭り一色です。
下諏訪駅に向かう道に入りました。
下諏訪駅に着きました。
もう一泊して御柱祭りを見て帰ることも考えましたが、、、、
泊まるところもないし帰宅する事にしました。
着いたのは16時45分ごろで、次の特急あずさは17時40分です。
一日中歩いていましたので、駅で待つことにしました。
駅のホームには、前回の御柱祭りで秋宮に建てられた柱が展示してありました。
あずさ30号で八王子経由自宅に帰りました。
帰宅したのは21時ごろでした。
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D7100
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この日の歩数は約3万5千歩でした。
前日を含めて歩行距離は29.5kmでした。
(歩数は2日間で5万9千歩でした)
下諏訪はもう少しゆっくり歩きたかったので、次の旅の始まりに周ってみたいと思います。
まだ未定ですが、梅雨明けすると暑くなるし・・
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ゴールは遠い
現在の消化率は約40%です。
本日もご訪問ありがとうございました。
中山道歩き 17-4 6月12日(日) [中山道を行く]
昨日、一昨日と晴天の日が続きました。
今日からはまた梅雨空に戻りそうです。
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中山道続きます。
険しい山道が終わり、ここからは国道が整備されてから、旧道がなくなり国道歩きになります。
国道142号線は下諏訪から軽井沢を結ぶ主要幹線です。
一部国道18号線等、他の国道と重複したところがあります。
ここも、歩道がありません。
しかし路肩はきちんとしているし、車道は登坂車線があり和田宿側ほど怖くありません。
標高1100m地点まで下りてきました。
この日のスタート地点とほぼ同じ高さです。
1100m → 1600m → 1100mと歩いてきました。
このダンプは中央車線は他の車が走っており、こちらを走っています。
大型トラックは私の姿が見えると、ほとんど中央よりの車線によけてくれます。
むしろ普通の乗用車のほうがハイスピードで近くを通るので怖かったです。
国道を外れて横道に入ります。
こんなところに来ました。
「浪人塚」です。
元治元(1864)年、尊皇攘夷を掲げ水戸藩を脱藩した浪士軍が京へ向かう途上、阻止しようとした高島、松本藩と激突し、その戦死者を悼んで、塚が建立されました。
ここでも山桜が咲いていました。
午後1時過ぎです。
桜の花の下で、もう1個残っていたおにぎりを食べました。、
そしてここから、写真はD7100に変わります。
浪人塚からは細い、静かな道路に変わりました。
再び国道に戻って進むと樋橋(とよはし)茶屋本陣跡の石碑が立っていました。
和田宿から下諏訪宿までの間は4つの茶屋があったと言われます。
(接待、東餅屋、西餅屋、樋橋)
向かいのには石仏がたくさん並んでいましたが、どこからか持ってきたもののようでした。
国道から外れてこんなところもありました。
でもすぐに国道に入ります。
ここまで来ると歩道があります。
和田峠の頂上で見た山々を、ここからまだ見ることができました。
中山道は国道を離れ、左の方に分かれます。
細い道になりました。
同時に静かになります。
誰もいない道ですが、動物の姿があらわれました。
犬かと思っていましたが、どう見てもカモシカのようです。
こんなところで遭遇するとはびっくりです。
進んでいくと、木落し坂に着きました。
7年ごとに行われる、諏訪大社の御柱祭りで大きな木を急な斜面に落とすところです。
ここにはお祭りのときに使われる木の見本が置いてありました。
近くには木落し坂の石碑が立っています。
模擬柱の先頭です。
少し斜面を降りてみました。
斜度45度、長さ100mの坂です。
中山道は横の道を下っていくので、下ってから坂の下まで行ってみました。
下から見上げると、すごい坂です。
今年が御柱祭りの年に当たりますので、ここで木落が行われました。
この日は5月13日です。
木落しは4月8日~10日に行われました。
中山道に戻り進みます。
芭蕉の句碑がありました。
「ゆき散るや 穂屋のすすきの 刈残し」
少しだけこんな道を進みます。
木落し坂から落とされた御柱8本は約1か月ここに置かれます。
注連掛(しめかけ)といいます。
今年の諏訪大社下社の御柱祭りは5月14日~16日で行われました。
この日は13日でしたので前日です。
どこに使う柱かは決まっています。
ものすごく太いロープですね。
ここに置かれる最後の日でした。
翌日は里曳きと言われる行事で各神社に移動され、立てられます。
再び中山道に戻ります。
地元のケーブルテレビ局が中継するため、準備中でした。
道端の道祖神もお祭り飾りがついいています。
下社、春宮に近づきました。
(右の森は神社の森です)
ここまで来たところで、中山道から少し外れて、下社春宮に向かいます。
次回に続きます。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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D7100
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Nikon 1 V2
1 NIKKOR 10-30mm f3.5-5.6
中山道歩き 17-3 6月8日(水) [中山道を行く]
関東地方も梅雨入りし、梅雨らしい天気が続いています。
来月まで我慢ですね。
今年の夏はどんな天気になるでしょう。
猛暑は嫌です。
和田峠頂上でしばらく休憩したのち今度は下りです。
事前情報で知っていたのですが、下諏訪までの地図が和田峠に置いてあるはずです。
このボックスに入っていました。
下諏訪中山道を守る会の人たちが作った地図です。
A4のカラー両面刷りの立派な地図です。
いつもは、地理院の地形図を部分的にプリントし、色鉛筆で書き込んでいます。
この部分は地理院の地形図でもわからないような道です。
非常に助かりました。
いよいよ出発です。
11時5分に出発しました。
御嶽山も見納めです。
和田峠の古峠に、もう一回来ることはないでしょう。
下り始めます。
今まで登ってきた道と違い、狭い道です。
横には、賽の河原と言われるガレ場が広がっています。
しっかり案内標識が立っているので迷うことはありません。
ここまではD7100で撮っていました。
ここから急な下り坂が始まり邪魔になるので、小さなNikon1V2に変えました。
細い道です。
それほど怖い道ではありません。
普通の登山道と変わりません。
案内標識の上に何かついています。
説明坂の内容。
安政二(1855)年、六月下之原村が、峠を往来する旅人の安全のため、作った石積みの小屋。
この石垣だけが残っていました。
このような道をどんどん下っていきます。
こんな細い道を籠をかついで登ったのでしょうか。
左の熊笹の向こうにこんな道がありました。
最近切り開いたようなところで、地面は石畳のようです。
こちらが旧中山道と思われますが、正確にはわかりません。
山道を下ります。
下諏訪側から上がってくるのは大変ですね。
国道に出ました。
しかし横切るだけで、再び山の中に入ります。
ところどころ、この道標があります。
下諏訪中山道を守る会の方たちが立てたようです。
二つ前の写真の橋が峠沢橋のようです。
また国道を横切りますが、道案内がきちんとあります。
静かな山道になります。
道祖神などの石碑が傾いたまま放置してありました。
前回の記事では、峠の江戸側には東餅屋という所がありましたが今度は西餅屋です。
日下部金兵衛撮影の明治初期の西餅屋です。
白黒写真に色づけしたものです。
今は単なる原っぱです。
また国道を横切ります。
車の通る道路は後から出来たので、当然こうなります。
こんなトラックが来ない時を見計らって横切らなければなりません。
この後は、ゆったりとした道になりました。
江戸より53里の一里塚に来ました。
上には142号線が走っています。
道ははっきりとわかりますが、このような倒木がところどころあります。
ロープをかけてありますが、リュックを背負って通るときはこのロープをつかむと楽です。
楽な道だと安心してましたが。
ここからちょっと怖い道になります。
山登りをする人にとってはびっくりするような道ではありません。
道の左側は崖になっていて、下には水の流れる沢があります。
誤って転んで落ちても途中で止まりそうな崖です。
ちょっと緊張しましたが、300mぐらいの間(5,6分)でした。
再び、林の中の道になりました。
躓いて転んでも下に落ちることはありません。
上のほうが風化していますが、おそらく「馬頭観世音」と掘ってあると思います。
このような山越えには馬は欠かせない動物だったでしょうね。
なだらかな下り坂になりました。
山道は終わりました。
ここからは国道の舗装した道路になります。
ここは標高1190m、峠から約400m下ったことになります。
(12時40分でした)
中山道の記事は後2回続きますが、次回はその他の記事になります。
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本日もご訪問有難うございました。
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中山道歩き 17-2 6月5日(日) [中山道を行く]
最近所用のため更新が不定期になっています。
この後もしばらく不定期更新が続きます。
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昨日の午前中まではさわやかな良い天気でしたが、午後から曇り空になってきました。
近畿、東海では梅雨入りをしたそうですね。
関東でも梅雨入りは近そうです。
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中山道の続きです。
この絵は歌川広重の版画ですが、かなり誇張した絵になっています。
それだけ大変だったということが言いたかったのかもしれません。
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広原の一里塚で小休止して中山道の最高地点の和田峠頂上を目指します。
向こうの山の鞍部が和田峠の頂上ではないかと思いますが、わかりません。
広原の一里塚を通過したのは9時40分ごろでした。
緩い坂を上っていきます。
歩くには何の問題もありません。
少し開けた所に来ました。
桜の花はすっかり忘れていましたが、山桜が綺麗に咲いていました。
良い日を選びました。
国道に出ました。
今は有料の新和田トンネルが出来ているので、ここは比較的静かです。
東餅屋に来ました。
下諏訪宿から和田宿の間には、いくつかの茶屋がありました
峠を挟んで江戸側には東餅屋、京都側には西餅屋の茶屋がありました。
案内板の説明にはドライブインがあるとのことでしたが、営業はしていませんでした。
廃業した茶店でしょうか?
こちらも
再び山の中に入っていきます。
ここから中山道はビーナスラインを横切っていきます。
少し山道に入ります。
ここに出ました。
上には道路があります。
このトンネルをくぐります。
トンネルを出ると左に曲がります。
ここで、この日始めて人にすれ違いました。
急いでいるようで会話はしませんでした。
また道路を横切ります。
時折ツーリングのバイクが走り抜けます。
ビーナスラインがくねくねしているので、何回も横切ります。
きちんと案内があるので迷いません。
森の中に入りました。
倒木がありますが、先の方に何か見えてきました。
もうすぐ頂上です。
着きました。
和田峠頂上です。(10時30分に到着しました)
地蔵菩薩が出迎えてくれました。
明治時代に新しい道が出来たため、ここは通る人がなく古峠(ふるとうげ)と呼ばれています。
二つの大きな石碑が立っています。
ここの標高は約1600mです。
(東餅屋の案内には1531mとなっていましたが1600mが正しいと思います)
右側が「 本尊大日大聖不動明王」で
左側が「御嶽山座生大権現」です。
どれが御嶽山なのかわかりませんが、左端が御嶽山で、右が乗鞍の方ではないかと思います。
電線が邪魔ですね。
そして西の方にはおそらく穂高辺りではないかと・・・??
こちらはスキー場だったところと思われます。
まだ10時40分ですが、この日の朝食は6時半に食べているのでお腹がすきました。
民宿で作っていただいた、おにぎりを頂きました。
次は和田峠の下りです。
今までと違って険しい道でした。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き 17-1 6月2日(木) [中山道を行く]
6月になりました。
鎌倉が混雑する時期になりました。
5月31日の夕方明月院に行きましたが、例年よりアジサイが早く咲いているようでした。
閉門前1時間前に行きましたが、まだ人が多かったです。
・
中山道の続きです。
一夜明けて、5月13日の朝です。
朝6時半の朝食後、7時過ぎに民宿出発です。
前日、迎えに来てもらったところまで送っていただきました。
街道歩きにはとても助かります。
・
この日も良い天気でした。
男女倉口(おめぐらぐち)から出発です。(7:35)
ここの標高は1120mです。
ここから車の通る道でなく、山道になります。
もう車が傍を走ることもなく、ゆっくり歩けます。
先の方に建物が見えますが、壊れた休憩所でした。
石像がたくさん並んでいます。
三十三体観音で、かつてこの山の中腹にあった熊野権現神社の前にあった石像です。
逃げ出すわけではないでしょうが、鉄筋で囲ってあります。
掘り起こされてここに安置してあるそうです。
千手観音13体、如意輪観音4体、馬頭観音10体、不明2体、未発見4体
先へ進みます。
足に優しい道で天気も良く気持ちよく歩けます。
横から沢の水音が聞こえます。
森にはいろんな鳥の鳴き声が聞こえます。
茅葺の屋根が見えてきました。
こんな建物でした。
こういう案内がありました。
江戸呉服町の豪商かせや与兵衛が千両を幕府へ寄付し、その利子50両が下付され設置されました。
11月から3月の冬の時期に、峠を越える旅人に粥と焚き火、牛馬には年中桶一杯の煮麦を施しました。
この場所は「接待」と言われています。
建物中の中はの土間周囲に腰かける場所と土間にはかまどがあります。
近くに大きな石碑が立っていました。
そしてこんな説明板がありました。
窃盗犯の護送中に逃げ出した犯人と警察官が格闘し、警察官が殉職した慰霊碑のようです。
出発しましょう。
ゴミは残さずに・・・! (どう見てもわらべには見えませんが)
前にあった湧き水は、とてもおいしい水でした。
持っていたペットボトルの水を入れ替えました。
時折トラックを止めて、ペットボトルに汲んでいく人もいました。
ツツジも咲いて気持ち良い道です。
案内もしっかり立っていますが、 ・・・ 中山道の案内の下には
「熊に注意!!!」です。
熊ベルをつけました。
ここまでは緩やかな上り坂でしたが、少し急な上り坂になってきました。
突然、地面に・・・熊の足痕ではないことを祈りつつ熊ベルの音を響かせて前へ進みます。
先ほどの殉職警官が見つかった場所です。
すれ違う人はいません。
そうは言っても、単独行登山と一緒です。
シダも伸びだして大きくなるところです。
横には沢の流れが続いています。
これはいつ頃建てられ、いつ頃まで使われたのかわかりません。
休憩所みたいなものでした。
高低差が大きくなり、水の流れも強くなってきました。
道は歩きにくい、石畳になってきました。
こんな写真を撮りながら歩いていますので時間はかかります。
クマザサが茂ったところに来ました。
前の方に一里塚と思えるものが見えます。
江戸より52番目の一里塚です。
ここの標高は約1450mです。(9:30)
2時間かかって標高差300mですので、とてもゆっくりです。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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続きは和田峠頂上まで行きます。
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中山道歩き 16-3 5月30日(月) [中山道を行く]
昨日は良い天気でしたが今朝は雨が降っています。
5月も明日で終わり、梅雨の季節に入りますが、週間天気予報では雨のマークは今日だけです。
中山道歩きの記事が続きます。
5月21日の記事では和田宿の出口まで来ました。
ここまでは車の通りも少なく静かな道でしたが、国道142号線を歩かねばなりません。
歩道はありません。
正面から自動車が来る方がいいので、右側を歩きます。
大きなトラックが来ると怖いので、側溝の上で通り過ぎるのを待ちます。
一番怖かったのはこのカーブです。
カーブを曲がるまで、車からも私は見えないはずです。
このお地蔵さんはどんな意味があるかわかりませんが、道路の脇に立っていました。
反対車線も大型トラックが多いです。
この写真は道路の真ん中に立って撮ったのではなくカーブの外側から撮りました。
こういうところへ来るとホッとします。
ここは蕎麦屋でした。
のどかな風景に緊張が綻びます。
この先で工事をしているようです。
そのため自動車はスピードを落としていますので少し安心です。
でも工事中でなければ、先ほどの側溝もなく怖いところです。
工事のため道路の片側を止めているので、安心して歩けます。
怖い道は1kmぐらいでした。
この道を歩くのは街道歩きの道楽者ぐらいでしょう。(一人だけすれ違いました)
やっと歩道のあるところまで来ました。
茅葺屋根の停留所がありましたが、少し古そうです。
まだ国道歩きは続きます。
歩道はありませんが路肩が広いので怖くありません。
国道からわき道に入るところに来ました。
早速、馬頭観音がありました。
草を刈ったばかりでしょうか、綺麗な坂道を上っていきます。
このような案内が出ているので、それに従って進みます。
沢に架かった橋が故障中です。
こんな梯子が架けてありました。
ふらつかないように用心して渡りました。
渡るとこんな道になりました。
暗くなったら迷うようなところです。
少し進むと、案内がありました。
昔はどんな道だったのか知りませんが、気持ちの良い森林浴ができるような道です。
急に開けて一里塚が見えてきました。
唐沢一里塚で江戸から51番目の一里塚です。
塚の周りには石碑が立っています。
左側の石には明王の仏像が彫ってありました。
ここでしばらく休憩して、この日泊まる民宿に迎えの電話をしました。
これ以上進むと携帯がつながらない恐れがあり、山道に入っていきます。
私はこんな格好で歩いています。(背中にリュックを背負っています)
マムシ草が生えているのが目に留まりました。
休憩をしたのち出発です。
再び、142号線に入りました。
この先で民宿の車に来てもらいました。
何時間もかかって歩いてきたところをわずか15分ぐらいで民宿に着きました。
荷物を置いて、とりあえずお風呂に入り付近をぶらつきました。
田圃には水が入り、山には夕暮れ前の陽が当たっています。
この木の中には神社があります。
民宿の主人と息子さんです。
ご主人は、東京の巣鴨出身と言ってました。
この日の泊り客はバイクツーリングの人2名、街道歩き3名の5人でした。
屋根付きのバイク置き場もあり、バイク旅行にはいいかもしれません。
民宿は下図の長和町の「長」の字の辺りです。
この日の歩数は約2万4千歩でした。
次回に続きます。
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次回は6月2日(木)になります。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き 16-2 5月21日(土) [中山道を行く]
昨日のお昼頃、テレビで「この時間一番気温の高いところは北海道です」とか言ってました。
やっぱり今年は変な天気です。
横浜では、北からの風が吹き、散歩をしていても汗が出ることはありませんでした。
そうは言っても、アジサイの蕾が色づいてきました。
アジサイの名所が込みだす季節になりました。
・
前記事の続きです。
前記事最後の写真です。
ここの標高が800mです。
スタート地点の標高が680mでしたので、緩やかな上りで120mも上ってきたことになります。
和田宿は江戸から28番目の宿場町です。
本陣1、脇本陣2、旅籠28の宿場町でした。
宿場の中心地に向かって進みます。
学校の前のバス停です。
学校の前なので大きいバス停です。
道はご覧のとおり緩い坂道です。
ここは和田小学校、のどかな学校ですね。
隣に中学校がありますが、鳥居の奥に学校の敷地がはみ出しているように見えます。
とてもきれいな校舎でした。
でも、生徒の減少で他の学校と統合されるようです。
ここで映画のロケが時々行われるようです。
町(村)の八幡様は大きな木の下に建っていました。
庭木が綺麗に刈込まれた家が続きます。
なんとコダックの看板が見えます。
場所は何処かわかりませんが、明治時代の和田宿です。
撮影したのは日下部金兵衛で白黒写真に色づけしたものです。
こんな山奥に魚屋さんがありました。(実際には野菜なども売っていました)
魚屋さんの先にある橋を渡ると、今は資料館になっているかわちやがあります。
出桁づくりの立派な建物でした。
中に入って係りの人に説明していただきました。
和田宿の建物は文久元年(1861)3月10日の火災でほとんど焼失した。
半年後に皇女和宮が和田宿に泊まることが決まっていたため、急遽、本陣、脇本陣等と同じく再建された。
半年後の11月に完成した。
向かいにある山木屋も旅籠だったようです。
前の道路が明治になり、国道となり切り下げられ、今の高さになったようです。
(以前は建物の高さと同じ高さでした)
隣にある大黒屋。
しばらく行くと 、 暖簾が出ています。
蕎麦屋さんでした。
この時12時45分、さすがにお腹がすきました。
中にはいると土間が続いていました。
そして、食べたのはこれです。
非常にシンプルですが、値段は?? ちょっと高めでした。(1100円)
蕎麦自体はまあまあでした。
蕎麦屋の向かいに本陣跡があります。
江戸時代も終わり本陣の役目も無くなると、その他のいくつかの建物も移築されたりしたそうです。
また、和田村の役場としても使われたそうです。
平成元年に元のままの姿に修復工事がされ、国指定史跡に登録されています。
ここでも、テレビドラマのロケなどが行われるようです。
また、作家も良く訪れるようです。
「一路」の作者である、浅田次郎のサイン入り色紙も掲示されていました。
屋根は板張りです。
お殿様の入り口はこちらです。
そして、門もこちらの門を使います。
左下の筧から出ている水は冷たくてとてもおいしい水でした。
問屋「米谷」跡を改築した、休憩処兼物産販売店です。
定休日でした。
脇本陣のみどり川(翠川家が務めた)
ちょっと料亭の雰囲気がありますね。
元旅籠、問屋などが並んでいたところを過ぎ、普通の街になりました。
道端の石仏も風化して判別不能です。
国道142号線に来ました。
ちょっと目を横にすると、旧街道はまだ続いています。
道路を横断すると、一里塚がありました。
江戸より五十里(約220km)となっています。
ここにもありました、茅葺屋根のバス停
こんな花があるとホッとします。
こういう道が続けば安心して歩けますが、
142号線と合流です。
ここから怖い道が始まります。
続きは次回に
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本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き 16-1 5月19日(木) [中山道を行く]
一昨日の雨も一日で終わり、昨日は青空が広がりました。
それ程暑くもなく、適当に風もありさわやかな一日でした。
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5月12日、13日の中山道歩きを前記事ではダイジェストにしました。
本日から、何回かに分けて詳細編にします。
一部前記事の写真と同じ部分がありますがご容赦ください。
朝早く家を出て、前回(4月8日)の最終地点である、セブンイレブンの前に着きました。
前回最後の記事はこちらです
10時15分でした。
飲み物とおにぎりを購入し歩き始めました。
いきなり歩道のない国道を歩きます。
直ぐに、道路は二手に分かれます。
右の道路が中山道の道で下諏訪方面に行く道です。
左は、大門峠を越えて、白樺湖、蓼科へ行く道です。
旧中山道は一度左に曲がり、落合橋を渡ります。
前記事にも掲載しましたが、歌川広重の作品で、長久保宿の絵です。
山の形がほぼ同じですので、この辺りの風景だと思われます。
一度、大門峠の方へ曲り橋を渡ります。
橋のガードレールにはきちんと表示がしてあります。
橋を渡ると急に旧街道の雰囲気になりますが、ここだけです。
道路がわかれたように、川も二つに分かれます。
この先の橋は別の橋です。
長和町は"水明の里"といわれ、四季を通じてきれいな水に恵まれたところです。
旧中山道は右側から周りこむ道です。
この緑地を作るときに移設したと思われる石仏、石碑が並んでいます。
田圃に水が入り、何とものどかな雰囲気です。
現在、車の通る142号線はバイパスが出来て、ほとんどの車がバイパスを走ります。
この道路はバイパスができる前の142号線で今はこんなに静かです。
そのため、車を気にせず歩けます。
ご当地柄のマンホールは和田峠越えです。
道端には、このような石仏、石碑、道祖神などがあちこちにあります。
この辺りは、冬には和田峠から吹き降ろす風がものすごく強いらしいです。
そのためか、ほとんどのバス停はこのような小屋になっています。
ここは茅葺屋根のバス停でした。
ここにも、石仏などが並んでいます。
天王夜燈と彫ってありますが、常夜灯のようなものでしょうか。
今度のバス停は普通の小屋でした。
風変わりな石碑がありました。
昔から、ミミズがいるとよく肥えた土地だとか言われていましたね。
日本語、英語、ハングルで書かれています。
こんなところまで外国人観光客が来るとは思えないですが・・・
漫画チックな顔をしています。
通りがかりにこんな建物がありました。
ヤギが顔を出していました。
この方は、クワで何か作業をしていましたが、カメラを向けると手を休めこちらを向いてくれました。
三千僧接待碑という案内板が立っていました。
元々お寺の境内にあったもののようです。
そのお寺で、諸国遍歴の僧の宿泊などを受け入れ、三千人を受け入れたという事でしょう。
こちらがその石碑です。
バス停の建物は神社みたいな形をしています。
これは立派な家ですね。
ここはまだ宿場町ではありませんので、豪農だったか何かでしょう。
今はトラックも通らない静かな道です。
緩やかですが上り坂です。
腰の曲がったお婆さんがゆっくり横断しても危険はありません。
この辺りは今が藤の咲く時期なんでしょう。
また石仏、石碑が立っています。
文字を読んでみると馬頭観音でした。
一段下の物も馬頭観音です。
若宮八幡神社という小さなお社がありました。
こんな道になりましたが、先ほどまで歩いていた旧国道とは違う道です。
特に案内もないので、不安になりましたが、すぐ横に旧国道があるため間違いではなさそうです。
再び、国道に出ました。
今度はこんな洋風なバス停がありました。
振返って見れば、しばらく見えなかった浅間山が顔を出していました。
そのまましばらく歩くと和田宿の入り口に来ました。
ちょうど12:00でした。
いよいよ和田宿に入っていきます。
次回に続きます。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き 16(ダイジェスト) 5月17日(火) [中山道を行く]
しばらく続いた晴天も昨日から曇天になり、今朝は雨が降っています。
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先週、5月12日、13日に中山道歩きをしてきました。
GWが終わった後、天気の具合はよくありませんでした。
12日から晴れの天気が続く予報だったのでこの日出発としました。
本日の記事は、イントロと、ダイジェストとします。
道中記は続いて掲載する予定です。
今回の行程は下図の通りです。
5月12日朝、大船発5時37分の電車に乗りました。
この時間はバスがないので、タクシーを利用しました。
東京駅の新幹線ホームはまだ静かです。(6:30頃です)
6:52発の「あさま601号」は定刻に発車して、青空の下を走っています。
この日は富士山が良く見えました。
熊谷を過ぎて関越道本庄児玉IC付近です。
中央付近に変な雲のようなものが写っていました。
他の写真は何もないので、窓の汚れなどではないようです。
軽井沢を過ぎて浅間山を写そうと思っていましたが、浅間山だけ雲の中でした。
定刻(8:27)に上田駅に着きました。
相変わらず真田丸一色です。
後ろの建物は先月泊まったホテルです。
なぜ朝早く家を出たかというと、9時のバスに乗るためです。
このバスに乗れないと、半日無駄になってしまいます。
ただ一つ心配だったのは、大船から東京駅までの電車が遅れないかということでした。
この日、私が東京駅に着いた後、川崎で送電関連の事故で半日ぐらい電車が止まったようです。
約1時間で長久保に着きました。
ここから町内巡回バス乗り換え、さらに進みます。
前回はこのセブンイレブンまで歩きました。
ここが今回のスタート地点です。
この辺りの標高は680mです。
国道から離れて、落合橋を渡ります。
歌川広重の絵ではこうなります。
美しい景色を楽しみながら歩きます。
和田宿の蕎麦屋さんで昼食を食べ、和田宿の本陣には13時に着きました。
和田宿を過ぎると、歩道のない国道をこわごわ進みます。
国道から横に離れて静かな山道になりました。
唐沢の一里塚で休憩中です。
この一里塚は51番目の一里塚なので、江戸日本橋から200km余り歩いたことになります。
誰もいないので、ベンチにカメラを置き、セルフタイマーで撮りました。
この時、15:40頃です。
迎えの電話は16:00までなので、この日は一里塚より500mぐらい先で終了しました。
ここから電話をして迎えに来てもらいました。
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そして泊まったのは民宿「みや」です。
この辺りで数少ない宿泊施設です。
翌朝、前日迎えに来てもらった場所まで送ってもらい、7時半ごろスタートです。
標高は約1100mです。
気持ちの良い道が続きます。
4月の半ばに熊の目撃情報があったということで、熊鈴をつけました。
10:30頃中山道最高地点の和田峠(標高1600m)に着きました。
休憩した後、下り道をスタートします。(11:00)
下りの道は悪路で狭いです。
12時40分頃山道は終わり、国道歩きを開始
今年は、諏訪大社の御柱祭りが開催される年です。
4月8日に開催された木落としを終えた木は里曳きまでここに置かれます。
15:20、下社春宮に着きました。
万治の石仏をみて、
下諏訪宿本陣前を通過(16:00)
下社秋宮にもお参りして
下諏訪の駅に着きました。
下諏訪の駅からあずさ30号で帰りました。
家に着いたのは21時過ぎでした。
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今回の旅のダイジェストでした。
次回から道中記が始まります。
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昨晩、この記事作成中に充電中の携帯電話が異様な音を出しました。
故障かと思ったら、緊急地震速報でした。
揺れは全く感じませんでしたが、久しぶりに携帯電話の速報を見ました。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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リベンジ追分宿 5月10日(火) [中山道を行く]
先月、中山道歩きに行ってから1か月も経ってしまいました。
先月の旅で、もう一か所行きたいと思っていた場所があります。
昨年の、11月に沓掛宿から望月宿を歩きました。
その時通った追分宿の記念館などが休日で入ることが出来ませんでした。
また見たかった石仏を見逃してしまい、後ろ髪を引かれる思いで帰りました。
その時の記事は → こちらです
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というわけで今回の旅の帰りに寄ることにしました。
4月8日に望月宿から長久保宿まで歩き、その後上田に泊まりました。
翌日、朝早起きして、上田城址の満開の桜、北国街道沿いの情緒ある町並みを見ました。
上田城址の桜は 4月12日に記事アップしています。
北国街道の町並みは 4月14日に記事アップしています。
真田丸ムード一色の上田から、しなの鉄道で信濃追分に向かいます。
発車して何気なしにドアの下を見ていると、「あつい!!」というステッカーが貼ってありました。
真冬には凍ってドアが開かなくなるので熱くなるようにしてあるようです。
寒いところは大変ですね。
10時前に信濃追分の駅に着きました。
右の建物が駅舎で左の建物は公衆トイレです。
比較的新しいトイレできれいなトイレでした。
信濃追分の駅から追分宿まで歩きます。
4月9日時点で、やっと春になったような日差しです。
20分余り歩いて追分宿の入り口まで来ました。
上の写真の矢印の方に曲ると、追分宿郷土館があります。
昨年来た時には水曜日でしたので、定休日でした。
今回は、土曜日でしたが、訪れる人も少なく一人で静かに見ることが出来ました。
中は撮影不可なので写真はありません。
そして、ここも昨年、休みで入れなかった「堀辰雄文学記念館」です。
この門は追分宿本陣の裏門を移築したものです。
門を入って中に続く小路を進みます。
記念館の入り口です。
このような企画展が行われていました。
堀辰雄と多恵夫人は軽井沢で知り合い、結婚しています。
結婚前の二人の手紙などが展示してありました。
私の母と多恵夫人はほぼ同年代ですが、手紙の字が私の母とそっくりでびっくりしました。
(どちらも故人です)
その頃の人は皆同じような字を書いていたのかちょっと不思議な感じがしました。
記念館の外には堀辰雄が住んでいた家がそのまま保存されていました。
(昭和26年築)
居室が公開されていました。
庭に母屋と離れて書庫がぽつんと立っています。
自分の蔵書を納めるために作ったのですが、完成とほぼ同時期に病気で亡くなりました。
(昭和28年)
病床で本の並べ方も考えていたようですが、見ることは叶わなかったようです。
軽井沢、追分は多くの文人が滞在していたことで有名です。
堀辰雄は室生犀星、芥川龍之介、立原道造、などと交流があったといわれています。
多恵夫人とは油屋という旅館で知り合ったようです。
当時の油屋は残っていませんが、現在は場所を変えて、営業しています。
次に向かったのが、泉洞寺です。
ここも昨年行きましたが、紅葉の最中でした。
このお寺に再度来た理由はこの石仏に会うためでした。
お寺の裏の方にあり見つけることが出来ませんでした。
中山道歩きのガイドブックにも必ず記載されていますが、堀辰雄の「樹下」に出てきます。
堀辰雄は毎日散歩途中に立ち寄ったといわれています。
弥勒菩薩のようですが、右手と左手が逆になっている不思議な石仏です。
静かなお寺でした。
曹洞宗ですから禅宗です。
山門を出ます。
昼前になったので昼食にしましょう。
軽井沢に住んでいる友人から、追分宿にはおいしい蕎麦屋さんがあると聞いていました。
名前を聞いてなかったので、ここだろうと当たりをつけて入りました。
一人なのでカウンターに座りました。
これはミニチュアですよ。
フキノトウの天ぷらが付いた蕎麦にしました。
手前の蕎麦猪口の横はフキノトウの甘酢和えです。
美味しい蕎麦でした。
そばを食べた後、駅まで戻らなければなりません。
店の人に聞いたら歩いて30分近く、かかるとのこと。
横でそばを食べていた人が、「食べ終わったら乗せてってやるよ」と暖かい言葉。
駅まで車に乗せていただきました。
浅間山がすぐ前に迫っています。
いまはもう雪は融けているでしょうね。
新幹線ができるまでは「信越本線」、今は1時間に1本のローカル線です。
軽井沢までは二駅、お土産も買っていないし、1時間後の新幹線で帰ることにしました。
軽井沢駅前から歩いてみましょう。
以前はもう少し狭い道だった記憶がありますが、広くきれいな道になっています。
横道を見れば昔からの林に囲まれた細い道です。
お土産も買い、駅に戻ってきました。
反対側から見れば、・ ・ ここはスキー場でしょうか。
少し早めにホームにおりて電車を待ちます。
通過する新幹線を流し撮り。
すぐ前を通るので、失敗でした。
そして、あさま618号で帰りました。
1か月前のネタでした。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き15-5 4月30日(土) [中山道を行く]
昨日は良い天気でしたが、強い風が吹いていました。
冷たい風になると天気予報で言ってましたが、それほどではありませんでした。
北海道では雪が降って、冬に逆戻りとか、大変ですね。
大型連休も始まり、交通機関は混雑しているようですが、サンデー毎日の私には関係ありません。
・
中山道歩きに戻ります。(4月24日の記事の続きです)
芦田宿を出て、笠取峠を越えて長久保宿の入り口まで下りてきました。
この日は4月8日(金)です。
稲藁が軒下に積んであります。
よくわかりませんが、これからの季節に必要なんでしょうかね。
先に進むとこんな、看板(?)が掛けてある家に来ました。
吾一庵となっています。
後で調べたら、個人の資料館で、勝手に入ってよかったようです。
こんな建物がありました。
屋根の上には石が並んでいます。
瓦はありません
工事中でもなさそうですが、雨漏りしないでしょうか。
色々調べてみると、旅籠の宴席などで歌われた長久保甚句に
「長い長久保 板屋根づくり かわら(瓦)ないからきておくれ」
という歌詞があります。
板屋根造りを再現したものと思われます。
長久保宿は、27番目の宿場町で、信濃の宿場町では2番目に大きい宿場町だったそうです。
この建物は明治時代初期に旅籠として建てられたものです。
しかし交通量が減ったため開業には至らなかったらしいです。
現在では資料館、休憩所として、使われています。
ちょっとだけ、中へ入ってみました。
入り口付近には米俵と臼、杵がならんでいます。
中は板間に囲炉裏です。
この日の朝佐久平駅で出会った、大阪から来た女性グループとここで分かれて私は先に行きます。
せっかくだからと、みんなで記念写真を撮りました。
(元)乙女に囲まれてtakenokoはやや緊張気味です。
皆さん私より20歳ぐらいは若そうでした。
足が速い理由がわかりました。
しかし立派な建物ですね。
この地方独特の出梁造りの建物です。
ここから歩いてすぐ近くに旧本陣石合家の建物があります。
立派な門です、現在も住宅として使われているため非公開でした。
説明板によれば、石合家は長久保宿が出来た時から本陣、問屋を務めています。
四代目当主には真田幸村の娘が嫁いでいるそうです。
すぐ横には復元された高札場がありました。
長久保宿はL字型の町並みです。
これは本陣の前の竪町の通りです。
明治時代の同じ通りです。
(netより借用)
釜鳴屋という看板がありました。
釜鳴屋(竹内家)は酒、醤油の醸造をしていたようです。
小屋根の付いたうだつが見られます。
向かいには問屋を営んでいた、小林家の住宅です。
明治になってから焼失し再建された建物です。
L字型の町並みの角に来ました。
角には今でも営業中の濱田屋旅館があります。
3階建ての建物です。
上の写真の左手から来て、右に曲がります。
しばらく進むと辰野屋、武重家住宅があります。
この建物も出梁造りで立派な建物でした。
左に行くと長安寺というお寺があるので行ってみます。
この前は国道が通っており、注意して横断しなければなりません。
曹洞宗のお寺でした。
境内には桜が咲いていました。
元に戻って中山道を進みます。
宿場町から出たら、田園地帯になりました。
ここで上田方面から来た道と合流します。
トラックの止まっているほうが中山道です。
しばらく歩道のない国道を歩きます。
四泊落合というのは地名のようです。
ここで標高680mですが、和田峠は標高1500m余りです。
わき道に逸れるところがあり案内がしてあります。
後ろの案内板は一里塚跡の案内でしたが、つけ方が逆ですね。
車で通っている人に向けても読みません。
この後こんな道になって一安心ですが、300mぐらいしかありませんでした。
再び車の多い国道に出るとコンビニがあり、コーヒー休憩をしました。
上田に向かうバスの時間の関係上、ここで終了として、長久保まで引き返しました。
引き返すときは静かな道を通り、桜の花を見ながら歩きます。
長久保のバス車庫から上田行きのバスに乗り、上田駅に18時半ごろ着きました。
駅前のホテルに泊まり、翌朝は上田城址の桜を見に行きました(4月12日の記事です)
今回の旅はもう1回記事アップします。
そろそろこの続きの予定を立てなければなりません。
この先はいよいよ和田峠を越えて、下諏訪に下ります。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き15-4 4月24日(日) [中山道を行く]
昨日の朝は曇天で、小雨でも降るかなと思っていました。
そんな中、散歩に出たら昼前から晴れ間が出てきて、気温も上がり気持ち良い天気になりました。
今まで何度も冬用のセーターの出し入れをしていましたが、もう必要ありません。
・
4月9日の中山道、続きます。
芦田宿を出ると、すぐ笠取峠の上りになります。
笠取峠はここらあたりにあります。
上り口に道祖神がありました。
この道祖神は新しい物です。
旧街道と言っても、公園として整備されており、昔の道という雰囲気ではありません。
朽ち果てたような石仏があります。
緩い坂道のようですが、そこそこの坂道です。
歌川広重の版画ではこうなっていますが・・
地面は石畳風になっています。
100mぐらい離れたところには、交通量の多い国道があります。
急な坂なので、車の音が聞こえます。
ここでは桜はまだ蕾でした。
また石仏です。
若山牧水の歌碑がありました。
このほかにも、違う人の歌碑がいくつかありました。
坂の途中に、車を止める場所がありました。
これは、・・・・トイレでしょう。(ここでは”雪隠”の表示はありませんでした)
ここで国道を横切ります。
車の切れ目を見て渡らないと怖いです。
渡ったところに案内板がありました。
若山牧水の歌にもありましたが、ここの松は赤松です。
しばらく歩くと、松並木は終わります。
振返って見ます。
なぜここの表示は「松並木」でなく「マツ並木」なんでしょう?
ここから中山道は国道142号線になります。
左手には、太陽光発電のパネルが並んでいます。
これまでの道でいたるところに見られました。
++ この費用は誰が払っているか知っていますか? ++
電気料金の請求書に記載されている、再エネ発電賦課金として電気料金に上乗せされています。
東日本大震災の時に総理大臣だったKさんによって決まった話です。
・
歩道があるからいいですが、横を大きなトラックが轟音を立てて通り過ぎて行きます。
長い上り坂でした。
やっと峠の頂点に着きました。
峠道(142号線)の工事完成記念碑が立っていました。
少し進むと、峠乃茶屋という所持処があります。
営業中ですが、特に中には入りませんでした。
木を切って、ここには何かできるでしょうか。
今までは立科町でしたが、ここから長和町(ながわちょう)になります。
しばらく行くと道が分かれます。
写真には写っていませんが、右にいく道があります。
古い142号線でしょう。
その脇に何か見えます。
こんな案内がありました。
ここから昔の道に入ります。
さすがに、最近作った人工的な物はありません。
土の道なので、足には優しいです。
後ろから女性の声が聞こえてきました。
この道は少しの間だけでした。
道端にお地蔵様でしょうか・・・
先ほどの女性のグループに追い越されてしまいました。
このグループはこの日の朝、佐久平のバス停で一緒になったメンバーです。
大阪から来たグループで、中山道の主要な所を歩いているそうです。
この日は、この後大阪まで帰り、5月は追分、軽井沢、碓氷峠に行くそうです。
道路の横から、古い石段を下りると石の社がありました。
横には立派な社があります。
松尾神社という神社です。
裏から入ってきたようです。
急に開けた場所に出ました。
峠越えは終わりました。
これから長久保宿に入ります。
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次回は中山道は一度お休みして、他の記事になります。
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中山道歩き 15-3 4月22日(金) [中山道を行く]
昨日は朝から曇天で、夕方から雨が降ってきました。
太陽が出ないので、寒く感じる日でした。
こういう天気だと出歩く気になりませんので、昨日はほとんど家にいました。
・
中山道歩き15日目、まだ続きます。
・
茂田井間の宿(もだいあいのしゅく)を出て、しばらくは立科町行きのバスが通る道を進みます。
丘陵地帯なので遠くの山まで見えます。(おそらく上田方面)
こちらは浅間山方面です。
しばらく進むと、右手にこんなものが見えてきました。
近くに寄ってみると、三界無縁佛供養塔と彫ってありました。
これから先に浅間山が見えるところもなさそうなので、最後にパチリ。
交差点の向こうに見えてきたのは、芦田宿の入り口です。
芦田宿は江戸から26番目の宿場で、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠6軒の宿場町です。
常夜灯が立っています。
足を進めます。
望月宿を出発したのは9時30分頃でした。
この時11時30分頃です。
ふるさと交流館という建物があり、中で休憩することにしました。
持ってきたおにぎりとパンで昼食代わりにしました。
旧街道沿いにはコンビニはありませんので、食べ物は事前に買って携行しておく必要があります。
すぐ出発します。
右側に重厚な建物があります。
ここが本陣です。
門を入ってみました。
本陣は土屋家が担い、本陣御殿は今でも残されています。
本陣御殿の入り口です。
向かいには脇本陣があったようです。
昭和52年、火事で焼失し、今は駐車場になっていました。
もう1軒の脇本陣です。
此方も山浦家が担っています。
その斜め前には、
「すやも」と読みます。
創業が明治25年という事なので、江戸時代にはなかったようです。
こういう名産品を買って帰りたいのですが、醤油も、味噌も重いので歩き旅には大変です。
とりあえず外から見るだけです。
すぐ先に、旅籠の建物があります。
こんな説明版がありました。
おそらく今も営業していると思われます。
これが出張づくりの特徴です。
横川辺りからよく見かける造りです。
町並みの外れに近くなったところにお寺がありました。
高龍山 正明寺という真言宗のお寺です。
ここにも、大きな枝垂れ桜が咲いていました。
この辺りはソメイヨシノの様な桜より枝垂れ桜が多いようです。
見事な桜でした。
街道に戻って進みます。
道祖神が並んでいました。
左の道祖神は人の姿が見えますが、右の物はほとんど崩れてしまっています。
芦田宿の出口まで来ました。
大きな交差点を渡ると大きな常夜灯が立っていました。
ここから笠取峠の上り坂が始まります。
次回に続きます。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き15-2 4月20日(水) [中山道を行く]
昨日はさわやかな良い天気でした。
久しぶりにいつもの川沿いの散歩道を歩くと、桜は散り、木々が一斉に芽吹きました。
2週間ぶりの散歩でしたので非常に新鮮でした。
横浜では、今日も晴れの天気のようですが、明日は雨になります。
良い天気は続かないです。
・
茂田井間の宿(もだいあいのしゅく)の続きです。
武重本家酒造の一角を過ぎて先に進みます。
小さな空き地から浅間山がよく見えました。
白壁の坂道を上ります。
ここは何回か旅番組で見た事があります。
もう一軒の酒屋、大澤酒造の前まで来ました。
門から中へ入ると、大きな屋敷がありました。
大澤家は代々茂田井村の名主でした。
右の、のれんのかかっているところは、大澤酒造民俗資料館となっています。
時間のロスをしたくないので中には入りませんでした。
(後で調べたら中で試飲もできたそうです・・基本的には酒は飲んではいけない体です)
外へ出ると、高札場跡の案内がありました。
高札場は名主の屋敷の近くに立てられたそうです。
進みながら路地の中を覗くと、時代劇にでも出てきそうな壁が続いていました。
<前記事の武重酒造の裏手では、「たそがれ清兵衛」のロケがされたとか、>
小さな広場があり、真新しい格子の引き戸が付いた建物がありました。
こういう言葉は久しぶりに見ました。
若い人は分かるでしょうか。(読み方も、意味も)
せっかくなので使わせていただきました。
「平」の家紋が付いた大きな蔵、綺麗な松の木などが続きます。
塀に欄間の様なものが付いています。
これも珍しいですね。
このような道が続きます。
歩いている人はほとんどいません。
時々軽トラックが通るので、その都度端に避けます。
左に曲がる角に、人の背丈より大きい馬頭観音が立っていました。
街道から離れますが、ここを左に曲がり進むと、無量寺というお寺に突き当たります。
天台宗比叡山延暦寺の末寺です。
この枝垂れ桜はきれいでした。
六地蔵に覆いかぶさるように枝垂れ桜が咲いています。
こんなのどかな場所にあるお寺です。
引き返して再び中山道を進みます。
通り沿いには大きな家が続きます。
高札場跡の案内がありました。
茂田井村は戸数が多く、上組と下組があり、ここは上組の名主の跡地だと思われます。
道は坂道になり、横には石割坂の案内があります。
急な坂に大きな石があり、通行に差し障るので、石を割って道を通したといわれます。
手書き風な案内もありました。
上の板は字を彫ってあります。
茂田井の集落も終りかかった所に、一里塚跡がありました。
一里塚を模して、小さな小山が作ってありました。
道路沿いの屋敷は少なくなり、遠景が見える様になりました。
最後の大きな建物でした。
大きな産業があるわけでもないところで、大きな屋敷を維持するのも大変でしょうね。
広い道と合流するところが茂田井間の宿の出口でした。
茂田井上というバス停でした。
この先は芦田宿に続いていきます。
続きは次回に掲載します。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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