中山道歩き 15-1 4月18日(月) [中山道を行く]
九州の地震は、まだ続いています。
昨日は強風で、関東地方では工事用の足場などが崩れたり、電車が一時止まったりしました。
自然現象とはいえ、のどかな春を楽しむどころではありません。
個人的にも多忙で前回はお休みさせていただきました。
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中山道を歩き始めたのは2年前の5月でした。
その間何回か入院したりしましたが、昨年長野県佐久市の望月宿まで着きました。
今回は望月からスタートです。
今回で15日目になります。
4月8日(金)以前はぐずついた天気が続いていました。
天気予報を確認し、4月8日、9日の1泊で出かけることにしました。
望月から出発して、出来たら和田宿まで行こうと思っていました。
4月8日、始発のバスで大船駅に行きました。
天気は上々、大船観音に朝日が当たって真っ白に光っています。
東京駅から7:24発あさま603号に乗りました。
荒川を越える時、中山道の横を通ります。
この橋を歩いて超えたのは、2014年の5月25日でした。
佐久平駅に8:52に到着です。
浅間山も見えていましたが、少し雪が残っています。
バス停でバスを持っていると、保育園の園児たちが挨拶していきます。
朝は雨が降ったのでしょうか、みんな長靴を履いていますね。
バスで約20分、望月宿に着きました。
5か月ぶりに来ました。
ここからは初めての道です。
のどかな田園風景が広がります。
広い通りだけではありません。
早速、古い石仏がありました。
ほとんど顔は識別できません。
廃校になった学校跡地ではないかと思われる広場があります。
しだれ桜が咲いていました。
ガードレール、電柱がなく、舗装道路でなければ旧街道そのものです。
国道の下を通ります。
緩やかな上り坂に出ました。
こんな道でも歩道があれば、助かります。
その後下ります。
この道の他にバイパスがあるので、車はそれほど多くはなく静かです。
右側に、ため池の様な、池がありました。
キンクロハジロの様な鳥が泳いでいました。
しばらく行くと、道が分かれます。
茂田井間の宿(もだいあいあのしゅく)の入り口です。
案内板にもある通り、間の宿は正式な宿場町ではありません。
始めは小さな集落の入り口のようでした。
その内、白壁の大きな家が目立つようになりました。
建物と建物の間には水路がありきれいな水が流れてます。
綺麗な水があるということは、美味しい酒があるということですね。
立派な門構えです。
武重本家酒造という酒屋さんです。
ここの建物約30棟は登録有形文化財だそうです。
門の中には何か展示してあります。
向かいには、若山牧水の歌碑がありました。
若山牧水はかなりの酒豪だったそうです。
(上)
よき酒の
ひとのいふなる
御園竹
われもけふ飲みつ
よしと思へり
・
(右)
しらたまの
歯にしみとほる
秋の夜の
酒はしづかに
飲むべかりけり
・
(左)
ひとの世に
たのしみ多し
然れども
酒なしにして
なにの楽しみ
進みましょう。
上り坂になり、白壁の建物が続きます。
茂田井間の宿(もだいあいのしゅく)はまだ続きます。
この先にはもう一軒、酒屋があります。
次回に続きます。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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Nikon 1 V2
1 NIKKOR 10-30mm f3.5-5.6
D7100
AF-S DX NIKKOR 18-105mmf3.5-5.6G ED VR
中山道歩き 14-5 12月10日(木) [中山道を行く]
昨日は良い天気でしたが、今日からは崩れるようです。
一雨、一雨、寒くなって来るでしょう。
昨晩、みなとみらいホールに新日本フィルの演奏会に行ってきました。
チャイコフスキーのバイオリン協奏曲、交響曲第5番。
久しぶりに聞くオーケストラの演奏、ホールの良さも併せて楽しんできました。
みなとみらい地区の夜景、イルミネーションも綺麗でした。
写欲むずむずでしたが、カメラは持って行きませんでしたのでありません。
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11月11日、12日に一泊二日で歩いた中山道シリーズ最終回です。
その前に・・・・ 前回の記事で掲載を忘れていました。
瓜生坂の絵です。
< 歌川広重 画 >
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前記事の最後の写真ですが、この川は鹿曲川(かくまがわ)といい、下流では千曲川と合流します。
奥が上流です。
橋を渡ると民家の横に真っ赤なモミジとオレンジ色の柿の木がありました。
橋を渡っても石仏があります。
望月は古くから馬の産地として栄えた所だったようです。
「逢坂の関の清水に影見えて今や引くらん望月の駒」・・・紀貫之
住宅が並ぶ細い道を抜けると広い道に出ます。
いきなりこんな家がありました。
望月の宿場町の始まりです。
この時午後2時で、これからバスで佐久平まで戻り、横浜に帰る予定です。
次の芦田宿までは5kmあるので、バスの本数も少なく、ここで今回は終了とします。
バス乗り場がで時刻表を見ると次のバスまで40分ぐらいあります。
バス乗り場は、バスがUターンできるほどの広さがあり、トイレもありました。
宿場案内の看板が立っています。
地図もありました。
小さいところなのでバスが来るまで、宿場巡りをすることにしました。
望月宿は本陣、1軒 脇本陣、1軒 旅籠屋9軒の宿場町でした。
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この店は洋品店でした。(営業中で新しい建物です)
大和屋呉服店という看板が立っていますが店は開いていませんでした。
大きな建物と蔵があります。
こちらは今も営業している井出野屋旅館です。
映画、犬上家の一族で那須ホテルとしてロケされた旅館です。・・と柱のところに表示がありました。
斜め向かいには山城屋という旅籠もあります。
馬の町だけあって、各家の前にはこのような木馬があります。
町並みの中心部に、歴史民俗資料館がありました。
時間がないので中には入りませんでした。
建物の前には、木樋が展示してありました。
塩名田から八幡に連なる五郎兵衛新田に水を引くために使われていたものです。
駒止めの石も展示してありました。
休憩中、この石に馬をつないでおくためのものです。
本陣は歴史民俗資料館の隣にありました。
今は小児科のお医者さんがあります。
向かいには脇本陣がありました。(問屋も営んでいたそうです)
立派な建物ですね。
宿場とは関係ありませんが、ガソリンスタンド跡でしょう。
レストランになっています。
家の間から望月城があった山が見えています。
望月城は戦国時代、信濃国の佐久郡望月地方の豪族望月氏の山城でした。
立派な家がありました。
真山家住宅です。
真山家は、江戸時代には問屋と旅籠を兼ね、幕末には名主もつとめていました。
建物は重要文化財です。
宿場町も終わりに近づきました。
左を見ると黄色いイチョウと鳥居が見えます。
鳥居は木製です。
階段を上がると小さな社殿がありました。
大伴神社は延喜式佐久3社の一つで御牧7郷の総社です。
のんびりしているとバスに乗り遅れるので、バス乗り場まで戻ります。
14:42発のバスに乗り、佐久平駅に向かいました。
15時10分頃佐久平の駅に着きました。
10分後に東京行きの電車ありましたが、お土産を買うため次の電車にしました。
お土産を買って、ホームで待ちます。
ホームドアには佐久鯉の絵が見えます。
16:26発の新幹線に乗り、東京駅に18時ごろ着きました。
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今回歩いたのは沓掛宿から望月宿です。
11月11日(沓掛宿~岩村田宿)
11月12日(岩村田宿~望月宿)
沓掛から望月までの宿場間距離は25.5kmです。
岩村田から佐久平駅前、道間違い(引き返し)などがありますので約27km位でしょう。
11日・・・ 37,466歩
12日・・・ 28,427歩
(駅構内なども含みます)
あまりなじみのない地名なのでどこらあたりかというと・・ 四角で囲ったところです。
昨年の5月19日に日本橋をスタートして延べ14日でここまで来ました。
望月宿まで 176.8km 全行程は 533.8kmなのでちょうど三分の一です。
ここから先の道中は寒さ、雪の影響があるので、来春、暖かくなってから再開したいと思います。
というわけで、中山道の旅はしばらくお休みとなります。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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Nikon 1 V2
1 NIKKOR 10-30mm f3.5-5.6
< 注 >
今回ほとんど上記のカメラで撮影したものです。
その他、使用したのは以下のレンズとカメラでした。
適当に使い分けをしていました
1 NIKKOR 30-110mm f3.8-5.6(Nikon1用望遠レンズ)
D7100
AF-S DX NIKKOR 18-105mmf3.5-5.6G ED VR
中山道歩き14-4 12月8日(火) [中山道を行く]
気温も大分下がって、冬らしくなってきました。
昨日、久しぶりに横浜の山手洋館へ行ってきました。
山下公園のイチョウもやっと例年通りの黄色い色になりました。
後日記事アップします。
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再び田舎の景色に戻り、中山道歩き14日目(11月12日)の続きです。
前回の記事では百沢の道祖神を見た後、大きな道祖神の前まで行きました。
<11月12日 午後1時頃です>
この道祖神は、高さが2mぐらいあり、村おこしのために、近年作られたものです。
ここの横から旧中山道は続いています。
直ぐ近くに案内がありました。(助かります)
早速、道端に小さな石仏(道祖神?)がありました。
特に説明板はありません。
横の林もかなり色づいていました。
緩やかな坂を上っていきます。
道路は舗装してありますが、人も車も通りません。
瓜生坂の一里塚跡に来ました。
調べてみると、45番目の一里塚です。(約175km歩いたことになります)
<説明版に記載してあったわけではありません>
道はしばらく上っていきます。
瓜生坂の頂点に着きました。
こんな看板がありました。(この看板も古そうですね)
ここには百万辺念仏塔となっていますが、
こちらは念佛百万遍塔と彫ってあります。
ここから道は広くなり、下り坂になりました。
横の林は紅葉でとてもきれいでした。
さらに下っていくと・・・
左の方が瓜生坂の方向です。
進んで見ました。
と言っても上り坂です。
先ほど通った、念仏百万遍塔の近くに出て、こんな案内がありました。
見落としたようです。
ここで引き返して正しい道を下ります。
<実際にはたった今、上ってきたところです>
ここにも石仏が2体あります。
さらに下ります。
足元は落ち葉でふかふかです。
元に戻ってきました。
間違って下りてきた広い道を進むとすぐに案内があります。
道は分かれて狭くなります。
石塔がたくさん並んでいます。
もともとこういう風に立っていたものか、後ろの家を建てる時に移設した物かわかりません。
「石仏の里」だけあって様々な石仏、石塔が並んでいます。
道祖神もあります。
道祖神の拡大です。
ちいさな集落に入ります。
モノクロ写真のような風景になりました。
この橋を渡ると、望月の宿場町です。
中山道歩きはもう一回続きます。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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Nikon 1 V2
1 NIKKOR 10-30mm f3.5-5.6
中山道歩き14-3 12月4日(金) [中山道を行く]
一昨日の夜は雨が降り、気温も下がり、だんだん冬らしい日になってきました。
天気予報によればこちらの方は今日、明日は晴れのようです。
ただし冷たい風が吹くようです。
・
中山道歩きの続きです。
大日如来の石像を見てから、自動車学校の横を通り進みます。
途中一里塚跡があるようですが、気づかずに通り過ぎてしまったようです。
時々自動車が来ますが、危険な道ではありません。
石塔が次々と現れます。
観世音菩薩の字が見えます。
生井大神と彫ってあります。
隣の小さな石塔は馬頭観音です。
この辺りも五郎兵衛新田の一部なんでしょうか。
のどかな風景です。
新潟の「せつこさん」の言うところの「田舎のベンツ」は必需品でしょうね。
空は晴れてきましたが、浅間山は姿を見せません。
この白バイは何度もこの道を往復していました。
この道は40km制限の道ですがこんなに空いていればついスピードが出るでしょうね。
坂道を下ると集落になりました。
八幡宿に着いたようです。
この案内標識のすぐ近くに宿場名の由来である、八幡神社があります。
随身門という立派な門があります。
門の彫刻もすばらしいです。
中に入るとさらに、瑞籬門(みずがきもん)という門があり、奥に本殿である高良社があります。
八幡神社を出て、街道に戻ります。
八幡宿は江戸より24番目の宿場町で、本陣1軒、脇本陣4軒、旅籠屋3軒の宿場町です。
本陣1軒なのに、脇本陣4軒もある? 理由はわかりません。
塩名田宿からは3kmぐらいしかありません。
千曲川の増水による、待機場所としての宿場だったようです。
大きな屋敷があったので、本陣跡かと思いました。 ・が
その先に門だけ残っていました。
向かい側にはなにも案内がない、門があります。
脇本陣跡かどうか?
緩い上り坂が続きます。
この辺りは上ったり、下ったりの連続です。
広い通りから外れて旧道になります。
先の方に大きな道路がありそうです。
142号線と合流するようです。
ちょうどお昼になったので、朝買ったおにぎりを食べました。
こんな景色が広がっています。
大きな柿の木が目につきました。
500mぐらい142号線を歩きます。
東海道を歩いた時には静岡、愛知の県境辺りで4車線の1号線が5kmほど続いた所があります。
すぐに国道歩きは終わりました。
この辺りの風景だと言われてます。
< 歌川広重 画>
ここから道は分かれます。
百沢という集落に入っていきます。
案内の看板がありました。
右側の石も道祖神のようですが、よくわかりません。
左の道祖神を拡大してみました。
少し離れてあったものです。
これは一人です。
百沢の集落は終わり、再び142号線に出ました。
この辺りは道路工事により旧道はわからなくなっているようです。
こういう坂道を登っていきます。
これが正しい旧中山道かどうかわかりません。
見渡せるところに出ました。
写真の左端にある火の見櫓の下に先ほどの道祖神があります。
何となく不安ですが坂道を下ります。
坂道を下りると、こんなところに出ました。
とはいえこの前は旧道ではありません。
この先は瓜生坂という峠を越えて、望月宿に入ります。
<次々回の予定です。>
・
+++++ 番外編 +++++
美美さんにコメントいただいた千曲川の烏帽子岩とはこれのことでしょうか?
・
次回は前回の記事の続きです。(築地から晴海まで)
・
本日もご訪問ありがとうございました。
・
Nikon 1 V2
1 NIKKOR 10-30mm f3.5-5.6
1 NIKKOR 30-110mm f3.8-5.6
D7100
AF-S DX NIKKOR 18-105mmf3.5-5.6G ED VR
中山道歩き 14-2 11月30日(月) [中山道を行く]
今日で11月も終わりです。
すでに街の中はクリスマスムードになっていますが、さらに騒々しくなります。
気温も平年並みでしょうか、服装も冬の装いになってきました。
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前記事では塩名田宿の入り口まで来ました。
今日の記事は塩名田宿の街並みです。
塩名田宿は江戸から23番目の宿場町で、本陣2、脇本陣1、旅籠屋7の宿場町です。
暴れ川の千曲川の東岸にあり、度々氾濫の被害を受けてるようです。
塩名田宿はこの交差点から始まりました。
追分でもかけてありましたが、屋号札がかかっています。
てっぱとは?
静かな通りです。
ところどころにこのような家があります。
小さなスーパーがありました。
よく見ると看板の下に小さな看板が。
今まで各地の宿場の本陣跡を見ましたが、このような本陣跡は珍しいです。
本陣 丸山善兵衛の看板もついています。
骨董品屋さんの店先に・・・ 大砲が
どこから仕入れたんでしょうね。
立派なお屋敷がありました。
問屋本陣となっていますが、こちらは問屋も営んでいたのでしょう。
違いがよくわかりません。
ここも丸山家です。
塩名田宿は丸山氏の同族が本陣、脇本陣を務めたそうです。
屋根の鬼瓦にも「丸山」の字が読めます。
隣には高札場跡の案内板がありますが、今は町の掲示板でした。
ここの向かいは浅科地区の公民館で、塩名田の観光案内が立っていました。
田んぼでは牛を使って耕しており、中山道は昔の旅人が歩いています。
遠くには新幹線も描かれており、今昔ミックスの案内板でした。
すぐ近くに古い建物がありました。
こちらは丸山ではなく、佐藤家でした。
えびやという豆腐屋さんがあります。
午前10時半頃ですが、売り切れという表示がしてああります。
しばらく行くと、道の分かれ目に中山道の案内がありました。
こういうのが助かります。
塩名田宿は東から、下宿、中宿、河原宿と別れており、ここからは河原宿です。
坂道を下っていきます。
突然、真新しい石碑?がありました。
今までは二十三夜塔は沢山ありましたが、初めて見ました十九夜塔 横には道祖神
こんな案内が立っています。
この後ろから水が出ていたようですが、今はしずく落ちていました。
案内の中にもありますが、三階建てのかどやは二枚前の写真の建物です。
この道は最近整備されたようですね。
他にも三階建ての建物があります。
川魚料理のお店もあります。(この辺りは鯉が有名ですね。)
千曲川の川べりに出ました。
昔は歩いて渡るしか方法がなかったようですが、その後橋が出来ました。
大雨で橋が流されることも多く、船を横に並べ板を渡して通ることもあったようです。
船をつないでおくための石があるそうですが、見落としました。
佐久市のホームページより拝借しました。
穴がくりぬいてあります。
こんな景色だったのでしょう。
(歌川広重画)
川を歩いて渡ることは出来ません。
今の橋はこんな橋です。
左が上流です。
横道から橋の上に出て橋を渡ります。
雲があり山は見えません。
橋を渡るとここから上り坂になります。
この辺りは御馬寄(みまよせ)という集落です。
かなり急な坂です。
ここまでは、狭いながらも歩道がありましたが、歩道がなくなりました。
よく見るとこんな案内がありました。
色あせていますが「中山道」という文字が見えます。
横の家の裏を上っていきます。
急に開けた場所に出ました。
空も晴れてきました。
上がってみました。
大日如来像と芭蕉の句碑が立っていました。
芭蕉の句碑には 「涼しさや 直ぐに野松の 枝の形」 なぜここで「涼しさや」なのでしょう。
いい顔をしてますね。
晴れてきましたが、山は見えません。
五郎兵衛新田と言い、今から400年ぐらい前に蓼科のふもとから水を引いて開拓したところです。
本日はここまでです。
中山道はこの先2回分ありますが、次回は他の記事を入れます。
本日の続きは次々回になります。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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1 NIKKOR 10-30mm f3.5-5.6
D7100
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中山道歩き14-1 11月28日(土) [中山道を行く]
一昨日は前日の雨は上がり午前中は曇り、午後から明るくはなったものの寒い日でした。
昨日は朝から快晴になりましたが、冷たい強風が吹いて厚着の散歩になりました。
昨日の散歩ではイチョウの葉が急に黄色くなったように感じました。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
11月24日の記事の続きです。
11月11日には中軽井沢から佐久平まで歩きました。
(沓掛宿、追分宿、小田井宿、岩村田宿)
その日は佐久平駅前のホテルに泊まりました。
翌日は、中山道歩きの延べ14日目になります。
この日歩いたのはこんなところです。
・
前日は晴天に恵まれ気持ちの良い街道歩きを楽しめましたがこの日は曇天です。
浅間山も雲の中に隠れています。
今日の行程でコンビニ、飲食店があるかどうかわかりません。
ホテルの横のコンビニでおにぎり、パン、お茶を買い込みました。
ホテルから、前日終了した場所までタクシーで移動しました。
前日の最後は御嶽神社のいくつかの石塔前です。
出発したのは8:25でした。
岩村田高校の横を通り、進みます。
中山道・相生の松という案内標識が立っています。
大きな病院(佐久市立国保浅間中央病院)がありました。
右は新しく出来た建物で左は解体中で増築するのでしょう。
病院の前を通り過ぎ道は左にカーブし、突き当りに「相生の松」がありました。
皇女和宮が1861年将軍徳川家茂に降嫁するため通る際、野点をしたところと言われています。
現在の松は3代目だとか。
相生の松を過ぎ、足を進めます。
田園地帯になりました。
道祖神もあります。
道路の横には、金網に囲まれたリンゴ畑が広がっています。
食べごろですね。
しばらく行くと中部横断自動車道を横断します。
少し離れた場所に小さな神社がありました。
高速の下を通ると、集落に入ります。
上の写真の赤くなった木はこんな木でした
小さな家でしたが、今でも作っているのでしょうか?
(後で地図を見ていたら少し離れたところに工場がありました)
公衆電話と書いてあるドアに郵便受けがついています。
先輩諸氏の道中記を見ると皆さん気になるようで何人かの人が記事に取り上げています。
このドアを開けると何があるでしょうね。
道路から一段高いところに大きな木があります。
一里塚跡かと思いましたが違いました。
木の周囲は墓地でした。
墓石は古い物なのでかなり昔からあるのでしょう。
またリンゴ園がありました。
誰かいれば、ダメもとで1個だけ買いたいとお願いしようと思いましたが人影が見つかりません。
小さな神社がありました。
諏訪社という神社です。
中に入ると、もう一つ鳥居があり、奥に見える石塔が祀ってあるようです。
集落が続き、誰も通らない道を進みます。
両側の家がなくなりました。
畑の中に石塔が立っていますが、文字は読めませんでした。
反対側も畑が広がっています。
晴れていれば浅間山も見えるでしょうが、こんな天気でした。
高架の線路は北陸新幹線です。
道が分かれています。
正面にこれが立っていますがどちらか迷うところです。
右の道は新しそうな感じがするので左の道を進みました。
左が正解でした。
進んでいくと駒形神社の前に出ました。
綺麗な紅葉に囲まれた石段と鳥居が見えます。
とても綺麗な紅葉です。
今回の旅で一番の紅葉でした。
階段を上がってみるとこんな神社でした。
何が重要文化財かわかりませんがどうやらこの社殿のようです。
午前10時になりました。
朝出るときにコンビニで買ったパンを食べて少し休憩です。
・
一息入れて進みます。
この辺りは林業が盛んなのか知りませんが製材所がありました。
再び集落に入ります。
この集落を抜けると、塩名田宿の始まりです。
塩名田の宿場町風景は次回に続きます。
・
++++++++++ 付録 ++++++++++
昨日は久しぶりに晴れたのできれいに富士山が見えました。
25日に降った雨は富士山では雪だったようです。
雪がずいぶん増えました。
<左の静岡県側にたくさん降ったようです>
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本日もご訪問ありがとうございました。
・
Nikon 1 V2
1 NIKKOR 10-30mm f3.5-5.6
D7100
AF-S DX NIKKOR 18-105mmf3.5-5.6G ED VR
AF-S VR Zoom-Nikkor 70-300mmf/4.5-5.6G IF-ED(富士山)
中山道歩き13-4 11月24日(火) [中山道を行く]
昨日は朝から曇り空、気温も最近傾向より低めでした。
外出しましたが、街の中、電車の中で見る人たちの服装が冬の装いでした。
今日からの天気もあまりよくないようです。
・
三連休は終わりました。
お仕事の方は今日から開始ですね。
でも今週は一日短いので週末が来るのが早いでしょう。
・
11月20日の記事の続きです。
20日の記事の終わりは小田井宿の入り口まででした。
今回は小田井宿から岩村田宿の行程です。
距離は約5kmあります。
小田井宿に着いたのは午後2時ごろでした。
小田井宿は、本陣1、脇本陣1、旅籠屋5の小さな宿場町でした。
大名は追分宿に泊まるので、姫君や、側女たちは小田井宿に泊まることが多かったようです。
そのため「姫の宿」とも呼ばれていました。
・
このような道から始まりますがこの建物は養蚕農家ではないかと思います。
比較的新しいお地蔵様が立っています。
おはる地蔵というようです。
横にこんな解説がありました。
<概説>
安川ハルは、明治36年御代田村に生まれた。
岩村田農学校卒、1年ほど小学校に奉職した。
その後上京して、ゴミや人糞を焼却した肥料づくりの研究に没頭する。
その結果安川式肥料燻炭炉を完成した。
副産物としてメチルアルコールなどが生成され、優れた発明として期待された。
しかし病気にかかり、事業化ができなかった。
戦後、地域の小学校に寄付をしたりこの地域に貢献した。
平成3年に永眠。
地域の人たちによっておはる地蔵が建立された。
・
こんな道が続きます。
道の両側には水路があり、きれいな水が流れていました。
(歌川広重)
宿場の中心、本陣跡(安川住宅)の建物です。(1756年に建てられたようです)
先ほどの安川ハルと関係があるかどうかわかりません。
問屋跡の住宅です。(現在でも人が住んでいます)
ここも安川家でした。(この辺りは安川という姓が多かったのではないでしょうか)
脇本陣跡はこれだけでした。
問屋跡(尾台家住宅)
小田井宿は約500m続いてましたが宿場を出ます。
次は岩村田宿です。
人も車もほとんど通りません。
相変わらずお店などは1軒もありません。
見かけるのは人家と石仏ぐらいです。
と、行っている間に広い道に合流しました。
このお店(?)軽井沢からの道には時々あり飲み物は入手することができました。
上信越自動車道の佐久ICにつながる道の横にはリンゴがたくさん生っています。
手が届きそうですが取るわけにはいきません。(撮るだけです)
即売所がありましたが、重いので買いませんでした。
大きなケヤキの木と黄色いイチョウの木が見えてきました。
傾いてきた陽に当たってきれいです。
ここは住吉神社という神社でした。
市街地に入ってきました。
龍雲寺というお寺がありました。
武田信玄のお墓があるとのことです。
武田家の菩提寺は塩山(山梨)の恵林寺のはずですが・・ ?
通りの向こうには扉を閉ざした門が見えました。
(後で調べてみたら、自由に入れたようです)
広い道を進みます。
道の向かいにレトロ?な床屋さんがありました。
ここからが元の宿場町のようです。
内藤氏一万六千石の城下町でもあった岩村田宿。
旅人は堅苦しい城下町を好まなかったため、本陣、脇本陣はなく旅籠も少なかった。
この地方の経済の中心地として栄え、現在も商店街になっている。
(ネット資料より引用)
このような古い建物もありますが、近代のものです。
念仏通りという提灯が吊ってありますが奥に西念寺というお寺があるそうです。
宿場町をアピールしている商店街です。
足元には ・・・ なぜきつねなんでしょう?
鼻顔稲荷神社という神社があり、商店街のマスコットだそうです。
元は旅籠のあった場所ですが今は形を変えた旅館です。
この案内で右に曲がります。
すぐに小さな道祖神がありました。
その後、小海線の踏切を越えると、小さな神社があり、庚申塚などが並んでいます。
この時15:50でした。
次の塩名田宿までは、5kmぐらいあり、暗くなると予想されるのでこの日はここで終了としました。
歩いて佐久平の駅まで行きます。
佐久平駅前のホテルに泊まりました。
この日は 37,000歩 約15kmの道のりでした。
翌日は、塩名田、八幡、望月の宿場を歩きます。
・
本日もご訪問ありがとうございました。
・
次回も中山道が続きます。
・
Nikon 1 V2
1 NIKKOR 10-30mm f3.5-5.6
中山道歩き13-3 11月20日(金) [中山道を行く]
一昨日の午後からの雨も上がり昨日の午前中はさわやかな晴天でした。
ところが午後1時過ぎになると曇り空になりました。
日の短い最近では午後3時を過ぎると夕暮れの感じになります。
寒くはなく、紅葉が遅れがちです。
・
前記事の続きです。
追分宿を出て小田井宿に向けて歩き出します。
小田井という地名は余り知られていません。
私も中山道を歩きだしてから知りました。
小田井宿の先の岩村田も知りませんでした。
この辺りです。
ミニ中山道を歩いてから、本物の中山道を進みます。
道の両側には林があり、紅葉真っ盛りです。
廃屋の横にも、
天気も良く、気持ちの良い街道歩きです。
畑の向こうも赤、朱色、の林です。
ここはarashiさんの定宿らしいです。
カラマツもかなり葉が落ちています。
もう12時を過ぎています。
写真を撮っていると歩くペースが落ちます。
朝出るときに買ったパンをほおばりながら歩きます。
浅間山も綺麗に見えています。
白いのは噴煙ではなく、雲です。(浅間山は頂上には登れません)
軽井沢町から御代田(みよた)町に変ります。
林の中にとても綺麗な紅葉を見ることができました。
ところどころに、きれいに見渡せるところがあります。
軽井沢町にはなかった道案内がありました。
綺麗な景色が連続して出てきます。
少しずつ下っていきます。
枯れ木ですが、空も綺麗だったのでパシャッ
コスモス街道といってもコスモスはもう終わりです。
道の右側に現れた小さな神社ですが、決して立派な神社ではありません。
近くの人しかお参りに来ないでしょう。
追分では気温が8度でしたが、このおじ(い)さんは半袖で自転車に乗っています。
民家の前にこんな案内が立っています。
道路から少し入ったところにあります。
一里塚跡としては珍しく、枝垂桜の木です。
花が咲いたらきれいでしょうね。
進みます。
この木は何か知りませんが、陽が当たってきれいでした。
(何か所かで見ましたが比較的大きい葉でした)
道の両側に家が増えて来たら、ここに来ました。
しなの鉄道を越える地下道です。
御代田駅のすぐそばです。
中軽井沢を出てから、沓掛宿にコンビニが1件あっただけです。
追分宿では飲食店は定休日でした。
地下道を出たら蕎麦屋さんがありました。
午後1時過ぎにやっと昼食です。
可もなし不可もなしの蕎麦でした。
とりあえず腹を満たし、続きます。
道の右側は遮るものがなく、浅間山などの山を見ながら進みます。
のどかな所です。
これは字が読めませんが、ところどころにこのような石碑、野仏が見られます。
小田井宿の入り口に着きました。
午後2時前でした。
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中山道が続くと飽きるので、次回は東京の話題になります。
中山道は11月24日から続きます
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本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き 13-2 11月18日(水) [中山道を行く]
一昨日、昨日は気温が高く外出していても汗をかきながらの天気でした。
晴れたり、雨が降ったり、気温が上がったり、下がったり目まぐるしく変わります。
毎日着るものに悩みます。
・
前記事の続きです。
9時20分に歩きだして、追分に着いたのは11時過ぎになってしまいました。
国道18号線から離れて、追分宿の街並みに入っていきます。
紅葉の真っ最中でした。
沓掛から追分までは道案内もほとんどなく、軽井沢町は中山道に熱心ではないかと思っていました。
ところがここだけは力が入っています。
追分宿郷土館には追分宿の歴史などがわかる展示があります。
ここは立ち寄ろうと思っていましたが、
静かですね。
なんと水曜日は定休日でした。
この周囲は静かな良いところでした。
「追分節発祥の地」という石碑がありました。
碓氷峠の権現様は わしが為には守り神
浅間山さん なぜ焼けしゃんす 裾に三宿 もちながら
ここで出来た追分節は北の方へ広まって、越後追分、江差追分などのもとになったといわれています。
横の案内板には浅間神社本殿と表示されていましたが、神社とは思えない建物です。
街道に戻ります。
古い建物がいくつかありますが骨董屋さんがありました。
これでも営業中です。
電蓄(この言葉はわかるかな?)等に混じって、鉄腕アトムがいました。
小さな川があり橋が架かっています。
橋を渡るとこんな道が続きます。
宿場があった頃は本陣1、脇本陣2、旅籠屋35、家数103あったと言われています。
建物が残っていないところもあります。
突然立派な門の前に着きました。
堀辰雄文学記念館です。
堀辰雄とともにこの辺りは立原道造もよく来ており、詩もたくさんあります。
この門は本陣の裏門を移築したそうですが、裏門でも立派な門です。
ここも休業日でした。
ドウダンも真っ赤でした。
宿場の中心と思われる辺りに来ました。
高札場跡(再建されたもの)があります。
この向かい辺りに本陣があったと思われます。
今はお店ですが、店もお休みです。
追分宿は水曜日に行ってもダメなようです。
しかしお寺は休業日はありません。
泉洞寺の山門です。
山門前にはいくつかの石仏が並んでいます。
お地蔵さまもありました。
日向ぼっこをしているみたいです。
鐘楼もあります。
門をくぐって中に入ります。
正面に本堂が立っています。
前まで行き、扉を開けようとしましたけど開きませんでした。(お寺まで休みでしょうか??)
やや興ざめですが、こんなお地蔵様もありました。
軽井沢は長野オリンピックの時カーリングの競技会場がありました。
このお寺のどこかに堀辰雄が愛した、半跏思惟像があるはずですが見当たりません。
(後で調べたら本堂の裏手にあるということでした)・・後日の宿題がまた増えました。
山門前は赤い落ち葉で一杯でした。
街道にもどります。
このような建物が並びます。
追分宿の出口まで来ました。
元桝形茶屋のつがるやです。
桝形とは、宿場の出入り口に宿場を見通せないよう鍵型に道路を曲げたところです。
ここにあった茶屋を桝形茶屋と言います。
追分宿を出ます。(振り返ってみています)
追分宿を出るとすぐに「分去れ(わかされ)」がありました。
右が北国街道、左が中山道です。
三角の角には、常夜灯が立っています。
その他にお地蔵?様も建っています。
200mぐらい進むと道が分かれます。
広い道は18号線で長野の方へ行きます。
先ほど分かれた北国街道はこの先で18号線と合流します。
中山道は左です。
上の写真の中央の林の奥には、中山道69次資料館がありますがここも休業でした。
しかし、この林の中に、ミニ中山道が作ってありました。
日本橋をスタートします。
街道歩きのはじめです。
途中省略しますが、全宿場の柱が立っています。
ここは大宮宿
1か月前に通った坂本宿(左の石は妙義山を模してあります)
馬篭宿
関ケ原
京都三条大橋
3分ほどで中山道を踏破しました。(笑)
そして隣にはこんな案内がありました。
(写真をクリックするとYou Tubeにリンクします・・別画面で出ます)
次の宿場(小田井宿)に向かって歩きます。
続きは次回に
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本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き 13-1 11月16日(月) [中山道を行く]
土曜日は雨で寒い一日になりました。
昨日の日曜日は午前中に雨は上がり、午後には晴天になり、暖かさが戻ってきました。
今日は晴れのようですが、長続きはしないようです。
・
中山道歩きも延べ13日目になりました。
前回は10月11日でしたので、1か月ぶりの中山道です。
当初、11月10日から2泊3日で下諏訪まで行こうと考えていました。
10日(火)の天気が思わしくなかったので、11日から1泊2日で行くことに変更しました。
2日しかないので行けるところまで行って帰ることにします。
・
11月11日始発のバスで大船駅に行き、東京駅に7:05に着きました。
7:24発の「あさま」に乗ります。
前回まではいつも在来線で行きましたが、初めて新幹線を利用します。
前の日の曇り空が朝まで残っていましたが、途中から晴れてきました。
(新幹線車窓より)
定刻 8:43に軽井沢に着きました。
ここから「しなの鉄道」に乗り換えです。
Suicaが使えなくなりましたので切符を買わなければなりません。
8:52発の電車に乗ります。
中軽井沢は次の駅なのですぐ着きました。
私は知りませんでしたが、元は沓掛駅だったそうです。
身支度を整えて出発です。
この日は沓掛宿からスタートです。(渓斎英泉 画)
前回歩いた中山道に戻ります。
「左浅間」と言って、中山道でここだけ左に浅間山が見える場所です。
(東海道にも左富士という富士山が左に見えるところがあります)
少し雲がかかってしまいました。
右側には軽井沢の離山が見えます。
沓掛宿の始まりです。
長倉神社という神社があります。
七五三前なので、幟が立っています。
境内は赤い落ち葉でいっぱいでした。
街道に戻り進みますが、車が多い道で、宿場町の雰囲気は全くありません。
ガイドブックには本陣跡の場所などが記載されていますがわかりませんでした。
しばらく行くと車の多い道から外れます。
ここからしばらく、車も少ない静かな道になりました。
歩いていくと、字が読めなくなった石柱や二十三夜塔が並んで立っています。
この辺りは古宿といわれる集落です。
古い神社があります。
馬頭観音はよく見かけます。
国道と合流してしばらく行くと分かれ道のようなところに出ました。
地図を見れば左のようなので、左に行きました
進んでいくと、バイパスのガードレールがあり車も多く、横断できません。
引き返してまっすぐ行くと、この道に合流しました。
ここから借宿という集落に入ります。
薪ストーブを使っているのでしょうか薪がたくさん準備してあります。
細い小道があり案内板が立っていました。
碓氷峠の関所を避けて上州(本庄宿)に入る裏街道との分岐です。
「関所さけて、女人が多く往来せし 女街道というは寂しも」
赤い鳥居の神社がありました。
「遠近宮」(おちこちのみや)という神社です。
蛇足ですが、ここの隣にあるトイレはきれいなトイレでした。
旧家でしょう、立派な家です。
玄関には大きな鬼瓦があります。
杉玉がぶら下がった家がありました。
元は作り酒屋だったのでしょうか。(軒下の看板には遠山印刷と表示してあります)
やっぱり酒屋だったようです。
遠山酒店の大徳利が置いてあります。
今の季節ならではの光景です。
高さが4mぐらいはありそうな馬頭観音がありました。(それほど古いものではないようです)
借宿も終わりに近づきました。
浅間山の噴石でしょうが、石塀の上に積んである意図はわかりません
中軽井沢に着いた時は少し寒かったですが、この時の気温は8度でした。
広い国道18号線に沿ってしばらく歩きます。
追分の一里塚跡に来ました。
日本橋から40番目の一里塚です。
こちらは左側の一里塚
反対側は上のような顕著な形をしていません。
ここから右へ行くと追分宿に入っていきます。
続きは次回に
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本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き 12-4 10月25日(日) [中山道を行く]
しばらく良い天気が続いています。
今日も晴れの予報です。
しかし今朝は、未明から強い風が吹いて神奈川県では強風注意報が出ています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今回の中山道シリーズ最後です。
軽井沢宿に入っていきます。
江戸時代には中山道沿いのお茶屋だった「つるや旅館」の前をとおります。
ここからいわゆる旧軽銀座になります。
私は何回か軽井沢には来たことはあるのですがこの通りを歩くのは初めてです。
この日は10月10日で3連休の初日でした。
人が多くなりました。
宿場町と言っても、本陣跡とか昔の宿場を思い起こすものは何もありません。
楽しそうな店がたくさんありますが、寄り道すると遅くなりますので急ぎます。
通りの横にある木も赤くなっています。
ちょっと糖分が欲しくなりました。
旧軽ロータリーまで来ました。
歌川広重の版画はこの辺りから見た景色だそうですが、全くわかりません。
何かを燃やしているのか白い煙が立っています。
軽井沢駅のほうには行かずに直進します。
進んでいくとこんな道路案内がありました。
この先は六本辻の交差点です。
この標識は初めて見ました。
この写真は通り過ぎてから撮ったものです。
洒落たCafeの横には紅葉の葉です。
道路の両側には、お洒落なレストランが次々あります。
売地がありますよ、いかがですか?
しばらく道なりに歩きます。
18号線と合流します。
旧道は途切れているので、500mぐらい18号線を進みます。
横に、しなの鉄道の線路があります。
軽井沢中学校前の信号を左に曲がって、踏切を渡ります。
踏切を渡ってすぐに右に曲がると、旧道に出ます。
時々車が来る程度で、静かな通りです。
小さな森のようなところは終わり、先は開けているようです。
カーブを曲がると正面に浅間山が見えてきました。
しなの鉄道の線路の下を通ります。
その後、線路沿いに進みます。
この時息子から携帯にメールが入りました。
5分ぐらいで中軽井沢の駅に着くようです。
中軽井沢の駅から、電車が発車してきました。
駅は目の前です。
15:44中軽井沢の駅に着きました。
息子の車もほぼ同時に着きました。
この後、息子の車で家に帰りました。
高坂SA辺りで少し渋滞しましたが8時ごろには家に着きました。
・
昨年の5月に歩き始め、その間に入院などがあり、延べ12日でやっとここまで来ました。
<中軽井沢は沓掛宿近くの駅です>
約150kmです。
東海道は53次ですが、中山道は69次です。
まだ先は長いです。
東海道の時は12日で220km歩きましたが、その時は病気もせず元気でした。
金谷辺りをあるいていました。
今回の2日間の歩数は 55,558歩でした。
これまでのまとめです。
これからしばらく宿場間距離が短い区間になります。
<美美さんの故郷にも近づきましたよ>
<和田宿と下諏訪宿の間が長く21kmありますがその他は5kmぐらいです。>
本格的な冬になる前に、2泊3日で下諏訪まで行きたいと思っています。
下諏訪で温泉に入ったあとは春まで休止の予定です。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き 12-3 10月23日(金) [中山道を行く]
碓氷峠で休憩し、息子と別れてから、軽井沢に向かって歩きます。
いよいよ信州の路に入ります。
碓氷峠頂上からは旧中山道は歩けるような道ではないということす。
ほぼ旧中山道に沿った、遊歩道を下ることなります。
下の図の細い点線の部分です。
見晴台の横から下ります。
いきなりこんな看板が出ました。
ここからは一人ですので、熊鈴をつけました。
群馬県側の登山道と違いこちらは遊歩道なので、歩きやすい道です。
熊鈴の音を響かせながら、進んでいきます。
上の図の白い道路は横の下のほうにあります。
厳しかった上り坂と違い、道端の植物にも目が行きます。
ノコンギク? シロヨメナ?
よくわかりません。
小さな鉄橋で先ほどの道の上を通ります。
時々碓氷峠まで登る人とすれ違いますが、あまり人は多くありません。
水は流れていませんが、木製の橋がかけてあります。
下り始めて約30分経ちました。
人の声がすると思ったら上から二人連れが降りてきました。
水の音が聞こえてきました。
小さな沢が続いています。
新緑の季節は気持ちのよい道でしょうね。
沢は川になり、川の向こうに建物が見えてきました。
小さな吊り橋を渡ります。
先ほど見えていた建物です。(立派な大きな建物でした)
ここから道は舗装道路になりました。
道路から見えるモミジは赤く染まっています。
常緑の針葉樹の中で赤い色が映えます。
下り始めて、約50分、ここまで来ていきなり中山道の案内が出てきました。
いかにも軽井沢の別荘地という感じです。
人の姿見られるようになり、自動車も来るので、このあたりで熊鈴を外しました。
ここで息子から電話がかかってきました。
碓氷峠の登山口まで下りたとのことです。
息子は趣味でマラソン、トレイルランをやっているので、走って下りました。
3時間余りで登ったところを1時間で下りたようです。
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ここまで来ました。
敷地の中にあるショー記念礼拝堂では結婚式が行われていました。
道路の向かいには芭蕉の句碑が立っていました。
馬をさへ なかむる雪の あした哉 (甲子吟行の句)
この後は旧軽井沢(軽井沢宿)の街に入っていきます。
続きは次回に。
中山道シリーズもう1回続きます。
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中山道歩き 12-2 10月21日(水) [中山道を行く]
3時間余りの上り坂を上って碓氷峠頂上に着きました。(前記事)
50歳位の時に、毎週のように神奈川、山梨の山歩きをしてましたので役に立ちました。
・
お茶屋さんの看板が現れたり、人も多くなり急に、賑やかになります。
こんなバスが着いて、たくさん人が降りました。
安政遠足のゴール地点の表示があります。
ちょっと面白い表示があります。
とりあえず、お参りしましょう。
階段を上がると、お寺ではないのに山門のような建物があります。
これは山門額というのでしょうか、熊野皇大神の額がついています。
社務所のようになっていましたが右側と左側とで神社が違います。
中央の通路の足元には県境
中に入ると、お宮参りの人やら、山ガールなどがお参りしています。
右側(群馬県)
左側(長野県)
それぞれ、祈祷などを行う社殿はありますが、お参りするのはこちらです。
賽銭箱も鈴緒、鈴もそれぞれにあります。(二列の行列ができていました。)
両方にお参りして神社を後にします。
ここでは紅葉が始まったばかりのようでした。
次に向かったのはこちら。力餅の店はいくつかありましたが「元祖」に惹かれてこちらへ
碓氷峠では、県境が売り物ですね。
力餅とはこんな餅でした。
少し柔らかめの餅に餡子がまぶしてあるものでした。
昔も竹の筒で出されたかどうかわかりません。
お昼を過ぎていますので持ってきたおにぎりを食べることにしました。
見晴台というところがあるのでそちらに向かいました。
見晴台に上がる前にこんな門がありました。
近藤氏寄贈と表示されていました。(見晴台一帯の開発者近藤友右衛門)
正面に見える建物はトイレです。
この門からすぐに広場がありましたが紅葉の景色が現れました。
いきなりこんな景色が見られると思いませんでした。
標高1200mなので当然かもしれません。
ここでも県境
ここに来た人はほとんど写真を撮っていましたので私も。(ちょっとだけぼかしています)
寒くなったのでリュックからウィンドブレーカーを出して着ました。
妙義山の景色を見ながら、おにぎりを食べました。
紅葉真っ盛りでした。
ここで息子と別れ、息子は来た道を走って碓氷湖まで引き返し、車で中軽井沢に向かいます。
私は軽井沢まで下りて中軽井沢駅まで歩きます。
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続きは次回に、
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本日もご訪問ありがとうございました。
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中山道歩き12-1 10月19日(月) [中山道を行く]
昨日は久しぶりに太陽の光を浴びました。
午後散歩に行きましたが、気温は高く暑いぐらいでした。
・
中山道歩き11日目は半日ほどの軽いハイキングレベルでした。(前記事)
高崎に戻って1泊し12日目を迎えました。
いよいよ峠越えです。
ここまでの行程は今ではほとんど舗装されて、車の入れる道路でした。
中山道歩きの先輩達のホームページなどを見ると、碓氷峠の頂上までは登山道のようです。
この日は、もしもの事の助っ人として、息子に来てもらうことにしていました。
車で来る息子と8:00に横川駅で合流し、碓氷湖の駐車場に車を止めました。
朝八時過ぎの碓氷湖は人も少なく静かです。
紅葉も進んでいます。
碓氷湖の周囲には遊歩道があるそうです。
碓氷湖の駐車場に車を置き、前日通った廃線跡を歩き中山道の碓氷峠登山口に着きました。
8:50出発です。
下の図は碓氷峠の高低図です。
この場所は登山口と表記されています。
ここは標高517mです。
碓氷峠の頂上は群馬県と長野県の県境にある熊野神社ですが、標高1200mです。
上図のとおり、最初に急な坂があります。
地形図で見ても等高線の間隔が狭いです。
碓氷湖から青い線を歩いて来て、これからは緑の線の道を上っていきます。
安政の遠足マラソンもこのコースです。
早速、案内板がありました。
番所があったところです。
登り始めてから約30分でこんなところに来ました。
海岸の岩場で見ることが多いですがこんな山の中に柱状節理がありました。
こんな岩でした。
同行している息子は軽々しく登っていきます。
一方私は重そうに登っていきます。
この日は登山用ストックを持っていきました。
こんな険しい道も出てきます。
参勤交代の行列がかごを担いでわらじ履きでここを上ったと思うと今から考えるとすごいことです。
「覗(のぞき)」という場所からは、前日に歩いた坂本宿が見えます。
杉並木でなく、杉の林の中を進んでいきます。
刎石茶屋跡まで来ました。(標高800m)
9:50ですのでここまで途中5分ぐらいの休憩をしましたが、1時間かかりました。
当時の石垣ですね。
ここからはやや平たんな道になりますが、この先標高差400mあります。
ただし距離は6.4kmあるので2時間近くかかりそうです。
平坦な道になるとピッチが上がります。
道も明るくなりました。
突然道の両側が切り取られたような場所に出ました。
1590年、豊臣秀吉の北陸、信州軍の防御のため松井田城主が両側を掘って狭くした「堀切」です。
危険なほど両側は切り立っていません。
このくらいの道なら歩きやすいです。
岩の上に北向馬頭観世音が立っています。
この前に南向馬頭観世音がありましたが写真を撮りませんでした。
このあたりに一里塚があったようです。
こんな山道でも一里塚を作ったのですね。
これが座頭ころがしの坂と思われますが、とても歩きにくい道です。
先輩諸氏のホームページを見るとこの先にこういう光景が出るはずでした。
いったいこの車はどうしてここまで来たのか???
好奇心旺盛な私は楽しみにしていましたが、撤去されたようで見当たりませんでした。(残念)
<写真はネットより借用>
この案内はところどころに立っています。
栗が原といわれる少し広いところに出ました。
ここの左側は崖なので、注意して歩きます。
ここまでほとんどすれ違う人はありませんでしたがこのあたりで初めてすれ違いました。
また広いところに出ました。
山中茶屋跡で茶屋が13軒あり茶屋本陣、お寺などがあり小さな集落だったようです。
バラックのようなプレハブ小屋がありました。
どういう目的なのかここだけにきちんとした崖の工事がしてありました。
この辺りは車が通れるような道だった?
この道の先のカーブを曲がると突然現れたバスの車体。
すぐ横には山荘のような建物もありますが人の気配はありませんでした。
こういう建物があるということは、碓氷峠からここまで車で来ることができたようです。
子持山に着きました。(このあたりの標高約1050mです) <11:30>
陣馬が原(武田・上杉の古戦場)を過ぎしばらく行くと道は二手に分かれます。
旧中山道は左です
間違っていません。
しばらく行くと小さな沢があります。
案内板には「化粧水」と書いてありました。
そして馬も水を飲んだのでしょう、人も馬も休憩する場所があったところです。
道は沢の水が横切っています。
注意しながら渡ります。
長坂道といわれる最後の坂道を登ります。
登り切ったところに、いくつかの石塔がありました。
「思婦石」です。
群馬郡室田の国学者、関橋守の作で
安政四年(1857)に建てられた。
ありし代に かえりみしてふ 碓氷山
今も恋しき 吾妻路のそら
ここから300m、12:08碓氷峠の頂上に着きました。
休憩、写真撮影しながら、3時間かかりました。
標高差 520m 歩行距離約7.5km 60代後半のジジイとしてはこんなものでしょう。
この後、熊野神社のお参りに行きます。
この続きは次回です。
・
本日もご訪問ありがとうございました。
次は、碓氷峠頂上付近から軽井沢に下ります。
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中山道歩き11-2 10月17日(土) [中山道を行く]
昨日は関東地方だけが天気が悪かったようですね。
朝から小雨が降って、散歩にも出かけず一日中家のにいました。
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
前回の記事の続きです。
<今日の記事は写真が多く途中から「鉄」に変ります>
・
坂本宿を出てすぐに八幡様がありました。
歩道もなくなり、国道18号線を進みますが、細い道が左に分かれています。
広い道路は後からできた道でしょうから、旧中山道はまっすぐです。
左の山が刎石山でこの山のほうに向かって進みます。
そろそろ脱穀するでしょうか良く乾いたように見えます。
安政遠足(とおあし)のコース案内が立っています。
毎年5月、安中から碓氷峠を上るマラソンが開催されます。
標高差1000m 距離30kmです。
急に森の道に入りました。
けもの道みたいなところを上がっていきます。
ここは短い坂でしたが、上ると国道18号線に出ます。
旧中山道は道路の向こうの細い道を上っていきます。
この日はここで進むのは止めて翌日に上る予定です。
+++++++++++ <ここから鉄分補給です> +++++++++++
国道に出る直前にレンガ造りの塀みたいなものがありました。
ここはトンネルの上です。
信越本線の横川軽井沢間が廃線になり、その後がハイキングコースになっています。
駅にあったパンフレットです。
このトンネルは1号トンネルです。(中央のC-9という場所にいます)
すぐ横に下に降りる階段があったので下りてみました。
メガネ橋まで歩くことにしました。
2号トンネルを抜けると左手下に碓氷湖が見えます。
碓氷湖は坂本ダムのダム湖です。
線路の跡を進み、3,4,5号トンネルを抜けていきます。
メガネ橋に着きました。
橋からは昭和40年ごろに出来た新線(今は廃線)の鉄橋が見えます。
電車からはメガネ橋が見えたでしょうね。
私は昭和47年にここを通っているはずですが、記憶はありません。
ここから引き返し横川駅まで歩きます。
正面のトンネル入り口の左手から撮った写真です。
トンネルが続きます。
明治18年開通ですので、その当時は蒸気機関車で、機関士は大変だったでしょうね。
このトンネルは壁面が崩れたところがあり、赤い照明がついていました。
この道を歩き始めた、1号トンネルまで戻ってきました。
このトンネルを越えると急に景色は広がり、横川駅につながります。
今は休日だけ、トロッコ列車がここまで走っています。
こんな道を下っていきます。
ここにもこんな看板が・・
道の左手にレンガ造りの建物がありました。
明治45年、横川、軽井沢間の電化により作られた丸山変電所跡です。
一時は廃墟のようになっていましたが、平成12年復元工事が行われたそうです。
周囲にはコスモスがきれいに咲いていました。
碓氷峠は最大66.7パーミルの勾配の場所があったといわれています。
横川駅方面に下っていきます。
横川駅に近くなり、トロッコ列車が止まっていました。
これが機関車ですね。
鉄道文化村の展示車両が見えます。
せっかく来たので中に入ってみましょう。
昔の特急「あさま」が展示してあります。
アプト式軌道もあります。
建物の中にあった、アプト式電気機関車ED42
外にはいろんな車両が展示してありました。
横川駅まで戻ります。
猫の駅長ではなさそうです。
駅の近くに旅館がありますが、三連休の前日で予約できなかったため高崎に戻りました。
高崎に戻り、翌日碓氷峠を越えます。
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本日もご訪問ありがとうございました。
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